高知県とは | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、高知県についての偏見と独断に満ちた印象です。

高知県を出るとき、高速道路のSA内で、暇そうにしていたインフォメーションの女性に話を聞きました。

ホントーに暇そうだったのですよ。

気の毒なくらい。(^^ゞ

事実、アナタがヒマそうだからついつい声を掛けてしまったと正直に告白しました。

こういうオッサンって多いでしょ?

困ったものだ。(ーー;)


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当初は4人勤務で、上り線と下り線のSAを二人ずつで担当し、8時~13時~17時だったかな?でローテーションを組んでいるそうです。

経費削減で、いまは3人で回しているそうです。

たまたまぼくが目撃したのは1人勤務のときで、2人勤務のときは雑談が出来るので、これほど辛くはないようです。

彼女は30歳前で、鼻の高いかなりの美人でした。^m^

えっ?

何の話だって?

高知県についての印象の話じゃなかったかだって?


・・・・・・・


最近は外人の観光客って多いでしょ?

アナタは英語ペラペラなんだぁ~~なんて、ドーでもいい話題から入ります。

ここからが本題:

「ぼくは愛媛県から入って、四万十川と足摺岬を見て、桂浜の龍馬像を見てきたところなんですよ。

 高知県って、あまり見るところないですよねぇ~」

「そうなんですよ、高知県って東西に広いわりに観光地が少ないんですよ。

 あとは、はりまや橋くらいですからね。」

「そうそう、学生時代に見たことがあるけれど、商店街の中にひっそりあったような記憶があるんですよ。」

「あまりに酷いので、最近は手を加えもう少しマシにしたのですが、がっかりですよね。」

「いつもこんな感じなんですか?」

「先月あったよさこい祭りのときはすごい人出でしたよ。」(8月10日~12日)

「貴女はここの出身なのですか?」

「そうなんですよ、生まれたときからずっとここ。早くこの県から出たいと思っているのですがねぇ~」


・・・・・・・


高知県はご存知のとおり県全体が太平洋に面しています。

背後にある四国山脈を超えなければ高知県には入れません。

県全体は予想外に山がちで、高知平野には県全体の人口の半分が住んでいます。

大きく内側に湾曲した土佐湾を抱えていて、複雑な入り江の足摺岬以西の地形と極端な対比を見せています。

これは反対側の瀬戸内海に面した愛媛県と大きく異なっています。(ぼくの出身である愛媛県とわざと比較して書いています。)

愛媛県の複雑極まりない海流と高知県の単純な海流。

海上交通の要所であった瀬戸内海と、たまぁ~にやって来るアメリカの捕鯨船が出没する以外、閑散とした土佐湾。

多くの島々が眺められる瀬戸内海と、だだっ広いだけの太平洋。

とはいっても、ひとたび黒潮に乗ってしまうと、北の果てまで流されてしまう危険性の中での漁業。

否応なしに複雑な歴史に巻き込まれてきた瀬戸内側と、歴史から取り残された感のある太平洋側。

歴史に登場したのは、せいぜい紀貫之が残した土佐日記くらい。

当然、この地形は県民性に大きく影響を与えていると考えて良いでしょう。


・・・・・・・

では、どんな県民性がこの地形から生まれるでしょう?

きめ細やかな感情は育成されないでしょう。

良く言えば豪快、悪く言えば単純。

良く言えば反骨精神旺盛、悪く言えば気分屋。

そう、日本三大頑固のひとつ「土佐のいごっそう」です。(ちなみに肥後のもっこす、津軽のじょっぱり)


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歴史的に見れば長宗我部が長いあいだ藩主だったのですが、関が原で西軍に付いたため、あの山内一豊が落下傘で降りてきて藩主になります。

山内一派が藩士、オリジナルが郷士と呼ばれ、その身分差は酷かったようです。

あの坂本龍馬は郷士の身分でしたので、この身分差への不満が明治維新におけるエネルギーになったと考えるのはあながち間違ってはいないでしょう。

人材については、山内容堂、板垣退助、後藤象二郎、武市半平太、坂本龍馬・・・と豊富です。

土佐藩は薩・長に続く明治維新の立役者として知られていますが、果たして思想的に一本筋が通っていたかというと疑問符が付きます。

その証拠に、脱藩者が相次ぎます。

坂本龍馬がその良い例ですね。


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先にも書いたとおり、ぼくは愛媛県の今治出身です。

当時の伊予松山藩ですね。

明治維新のときは、松山藩は親幕府を貫き通し朝敵とみなされます。

その結果、戦わずして城を明け渡し、土佐藩の占領下に入ります。

ヂグショー、屈辱でしょ?

大した働きもしていない土佐藩のいごっそう共がのこのこやって来て、偉そうに占領しやがったのですよ。

愛媛県人にとって、これは屈辱の歴史です。


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っで、何を言いたいか?

SAの案内嬢の証言:早くこの県から出て行きたい

高知出身の某ブロガーの証言:人間関係で息が詰まりそう。こんな県には戻りたくない

歴史上の人物の言葉:こがん藩におったらやりたいことは出来ん。脱藩するぜよ。


なぜか高知県人は出て行きたがる人が多いようです。(^^ゞ