ぼくはあの島原の乱を指す言葉だと思っていたのですが、なんで肥後が入るの?
せっかく島原に来たのだから、この意味を調べてみました。
1792年に普賢岳+眉山=大崩壊となったのです。
分からないですよね。

1792年ですよ。
ぼくらが知る普賢岳の大火砕流が発生したのが、1991年。
平成3年なのね。(もう26年も前なのね。)
44名の死者行方不明者を出しました。
ちなみに、木曽の御嶽山の死者行方不明者は63名。(2014年)
これに対して、1792年の噴火のときは、15,000名もの死者を数えます。
噴火により、山ごと崩壊して(山体崩壊といいます)有明湾に大量の土砂が一気に流れ込んだのです。
3億4000万立方メートル (と言われてもピンと来ねぇ~よ)もの土砂が引き起こす波ってどんなものか想像できないですよね。
対岸の肥後(熊本県)が津波に襲われたのです。
15〜20メートル 、ところにより57メートルの津波になったそうです。
15,000人の犠牲者のうち、2/3が島原側、1/3が肥後側だったそうです。
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だからナンなのさ?・・・でしょ?
1991年-1792年=199年の間にこれだけの大規模噴火(火砕流)が起きているのです。
前回の噴火から26年。
次の噴火がないはずがありません。
今の島原は平和です。
過酷な代官の年貢の取り立てもありません。
火砕流の後には道路が延び、家屋が建って、木々も茂っています。
まさか、200年前、26年前の災害が繰り返されるとは、ぼくのような外部の者が見る限り感じ取れません。
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島原からフェリーで離れるとき、水蒸気の白い噴気が所々上がる山々を眺めながら、
「ああ、助かったなぁ~~」としみじみ感じたぼくは異常なのでしょうか?
