・・・・・・・っということで、アイヌのことを少しでも知りたいと思い、北海道白老の「ポロトコタン」というアイヌの村を見学しました。
そのときのことはブログに書きましたが、案内係りの女性はアイヌの人でした。
「最近、差別はどうなんですか?」といきなり聞いてしまいました。
そのときは高校生の団体が近づいてきたので、ちょっと急いで質問してしまったのです。
係りの女性は愛想よく、「自分の世代はそういうことはもうありませんでしたが、叔母が嫌な思いをしたことがあると話していました。」と答えてくれました。
もちろん非礼な質問をしたことを詫びましたが、その答えを聞いてちょっと安心しました。
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たぶん皆さんも同じでしょうが、ぼくはアイヌのことは殆ど知らないといっていいでしょう。
ぼくの勝手な想像ですが、日本人のルーツはアイヌにあると思っています。
いまは北海道の一部にしか住んでいませんが、弥生人が来る前は全国に散らばって住んでいたはずです。
彼らは縄文人で生活の基本は「狩猟採集」です。
ですから、農耕はしません。
大陸から半島を経て日本に渡ってきた(農耕技術と鉄器を持った)弥生人が彼らを北に駆逐していったのです。
北海道が彼らの居住地になったのは、寒冷地で農耕には不向きであるのと、自然の恵みが豊富であることから必然だったといえるでしょう。
川には鮭や鱒が群れていて、あまりにも簡単に採れるものだから漁業が発達しなかったほどです。
そのまま棲み分けが続いていれば、彼らは問題なく平和な生活を送れたはずです。
彼らは小さな村単位で海岸線の河口付近に分散して生活していました。
もちろん人間同士ですから、多少の諍いは生じたでしょうが、そもそも土地に執着しないうえに自然の恵みが豊富ですから、深刻な争いが生じる理由は極端に少なかったと想像していいでしょう。
アイヌの人々は北海道の大自然の中で平和に暮らしていたというイメージで間違いないでしょう。
彼らが野蛮な原住民とする見方は間違っています。
ロシア側の記録にも、幕府側の記録にも、高い道徳心を持ち優れた理解力を持った人々であると書かれています。
差別される理由など、全くないのです。
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アイヌの人々は、一箇所に定住して暮らしていたと思われがちですが、千島列島や、サハリン経由で大陸と活発に貿易していたのです。
鉄や織物、漆器など、外からの文明を早い段階で受け入れる柔軟性を持っていました。
江戸幕府が北海道に着目したのは、豊富なニシンと鱒でした。
もちろん魚介類は干物にして食用目的の需要もありましたが、大半は肥料としての利用価値が高かったのです。
日本に木綿が入ってきたのはかなり後の時代のようで、それまでは麻や絹織物が一般的で、和紙も着ていたそうです。
魚肥が綿花の栽培には必需品であり、高価で取引されていたって知っていましたか?
面白い商品としては「蝦夷錦」というものが珍重されました。
これは朝鮮半島の上に興きた渤海国の貴族が着ていた古着なのです。
それ以外には昆布、毛皮などが貿易の対象品になりました。
蝦夷地におけるこれらの交易を一括管理するために幕府が任命したのが「松前藩」でした。
この松前藩がアイヌの人々にとって、悪魔のような存在になりました。
松前藩が採用したのは直接統治ではなく、北海道各地を「場所」に分割し、その場所の運営を民間人(商人)たちに請け負わせたのです。
人手の少ない貧乏藩がこれだけ広い土地を管轄するのですから、この方式以外になかったともいえるのですが、商人たちはアイヌの人々を奴隷化して動物以下の扱いをしたのです。
どれほどの虐待を受けたか公式記録には残っていませんが、それはそれは悲惨な扱いを受けたようです。
日本が持つ恥の歴史と言っていいでしょう。
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ちょっと話がそれますが、文字を持たない文明は例外なしに悲しい運命を辿ります。
文字を持つのは農耕民族。
農耕民族はその性格上集団の規模が大きくなり、組織力が発達します。
組織化された集団にとって、ばらばらの狩猟採集民族は彼らの敵ではありません。
悲しいことに、文字を持たない民族は、彼らがどれほど酷い目にあったのか、記録するすべがないのです。
ここにアイヌとアメリカインディアンの共通性を感じますが、アメリカインディアンの場合、開拓者にとっては全く邪魔な存在であり、彼らは地上から抹殺されるべき対象でした。
事実、白人は彼らの土地を奪い、食料のバッファローを絶滅させ、居留地に追い込んだのです。(やったことはナチスと変わりない。)
アイヌの場合は奴隷としての価値があったので、絶滅を目的にされたわけではありません。
しかし、人口が激減したことでは共通しています。
(本土から持ち込まれた天然痘による死者数も膨大でした。)
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もちろんアイヌの人々は松前藩の横暴にじっと耐えていたのではありません。
北海道各地で数多くの反乱が起き、その中で一番有名なのが「シャクシャインの戦い」です。
日高には彼(シャクシャイン)の銅像が建っているらしいですが、見落としてしまいました。
彼らは勇敢に戦いましたが武力の差は明らかで、反乱の都度平定されてしまいました。
しかし、松前藩の支配があまりにも横暴だということが幕府の知るところとなって、北海道の東半分(後には全部)が幕府の直轄地として取り上げられ、アイヌの人たちの暮らしもマシになりました。
もちろん、そういう人道的な面だけではありません。
ロシアが南下するようになって、防衛上、松前藩では頼りないということが背景にありました。
ところが、アイヌの人々の生活が改善されたのはほんのつかの間であって、結局松前藩に支配権が戻されてしまいました。
国営ビジネスが上手くいかないのは、いつの時代も同じなのです。
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以上がぼくがこれまでに知ったアイヌの歴史です。
なんとも悲しい歴史ですね。
時代が下るにつれ混血が進み、純粋な意味でのアイヌは存在しないのかもしれません。
しかし、アイヌの文化、精神(スピリット)、宗教観といったものは大切に残しておきたいですね。
特に生き物の中にはすべて「カムイ」が宿っているという考えは、アミニズムだと一言で片付けるべきではないと思います。
「ムックリ」というアイヌの楽器をご存知ですか?
竹で出来ていて、口に咥えて紐を引っ張るとビヨォ~~~~~ン、ボヨォ~~~~~ンとなる楽器です。
500円で売っていたこの楽器を買ってきました。
コツがあって、なかなか上手く音を出せませんが、かなり上達しましたよ。(^^ゞ
この音を聞くと、とても悲しい響きに聞こえてしまうのですが、皆さんはどう感じるでしょう。