イデオロギーについて | so what(だから何なんだ)

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そんなお年頃。
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・・・・・・・っということで、ぼくらが若いころ・・・・といっても、社会人になるまでかなぁ~


イデオロギー全盛の時代でした。


学生運動にのめり込んでいる連中の頭の中はイデオロギーで占められていました。


何でもかんでもイデオロギー。


果ては、イデオロギー闘争という言葉まで出てきたものです。


たぶん、資本家や労働者、学者、政治家などの階級にはそれぞれイデオロギーなるものがあって、そのイデオロギー同士の闘争という風に整理されていたんじゃないかと思います。


今の時代、イデオロギーなんて声高に叫ぶ人なんかいませんよね。


その一番の理由は、ソ連の崩壊でしょう。


言うまでもなくソ連は共産主義というイデオロギーに基づいて建設された国家です。


彼らは社会主義を世界中に浸透させようと、躍起になって工作活動をしていたものです。


ぶっちゃけて言えば、社会党とか、共産党はその出先機関ですね。


世界は共産主義とアメリカが主導する資本主義という二つの大きな相反するイデオロギーで成り立っていたのです。


その対立が消え去った今、イデオロギーを口に出す人なんかいなくなってしまったのですね。


・・・・・・・


そもそもイデオロギーって何だ?・・・ですよね。


結論から言えば曖昧な定義なんです。


Wikipedia風に解説すれば、【人間の行動を左右する根本的な物の考え方の体系。観念形態。】です。


ワケ分からんですよね。


そもそも、観念と体系的とは相反するような気がするんですがね。


観念じゃなくて、理念ならちょっとは分かるかもね。


次の定義は何も解説していないようで、本質を突いている気がします。


「イデオロギーは世界観である。」


「同時にイデオロギーは偏った考え方であり、何らかの先入観を含む。」


「イデオロギーは闘争的な観念である。」


ぼくらが知っている学生運動はこのような特徴を全て備えていましたからね。


・・・・・・・


なんで、イデオロギーを思い出したかというと、あの過激派組織ISについて有識者が語るとき、必ず「ISのイデオロギー」という言葉を使っているからです。


報道機関を含め、解説する側も聞く側もスンナリと「イデオロギー」という言葉を受け入れているのがぼくには不思議に思われるのです。


まるで忘れ去られたイデオロギーが亡霊のようによみがえった感じがするのです。


そもそも彼らにイデオロギーなんていう上等なものがあるのだろうか?


確かにイデオロギーは「宗教」と「政治」において頻繁に使われてきた言葉です。


彼らの主張するイスラム国家はこの二つの要素を包括しています。


だから、イデオロギーと定義していいものかも知れません。


しかし、最初のWiki風の定義では少なくとも「体系的」でなければなりません。


彼らの主張は「体系的」でしょうか?


ここんところを有識者たちはよぉ~~く考えてほしいんです。


ぼくは、イデオロギーという曖昧な言葉を使うことによって、彼らの主張がまるで体系的でもあるかのような印象を与えてしまうのではないか。


そこんところに危うさを感じてしまうのです。


彼らが有識者と呼ばれるならば、使う言葉に責任を感じて欲しいのです。


ぼくの受ける印象では、彼らの行動原理は決してイデオロギーに基づいていないというものです。


単なる盗賊の群れ、殺人者の群れというのが彼らの本質に近いのではないかと感じているのです。


そこのところを間違えると、イスラム教徒=テロリストという間違った観念を持ってしまう危険性につながるのではないですか。


かつて学生運動で盛り上がっていた連中を、イデオロギーの集団だと見誤ったように。