・・・・・・っということで、ぼくは自分のことを「ジジイ」と呼ぶ。
それに対してカミサンは「ホントーはジジイだと思っていないくせに」・・・っと、痛いところを突いて来る。
ぼくはいま現在63歳と8ヶ月と4日だ。
還暦は過ぎ、古希でさえ射程圏内だ。
還暦、古希とかの言葉が当てはまるようになったら、そりゃぁジジイだろう、れっきとした・・・。
信長の時代は「人生50年」だったし、全くその通りで、逆に50年生きられれば儲けもの・・・だったはずだ。
もちろん、実際にその歳になってみて、こりゃぁ自分が思っていたジジイ像とは違うぞっ・・・っと感じているのも事実である。
しかし、ナンだ63歳ってまだ若いじゃん・・・とは思いたくない。
そりゃぁ~個体差はある。
TVを観ていると、えっ!?この人、ぼくより若いの・・・!?というオッサンは山ほど出てくる。
でも、63歳は63歳である。
63歳をジジイと呼ばなきゃ、どう呼んでいいか分からなくなる。
そうなれば浮かれジジイの勘違いジジイで日本中が溢れかえってしまうではないか。
ジジイにはジジイなりの役目がある。
そのジジイが世の中にいなくなってしまったら、ジジイが果たすべき役目を果たせなくなるではないか。
では、そのジジイの果たす役目とは・・・・?
・・・・・・
若者に自信をつけさせることである。
若者をおだてて誘導することである。
将来自分はこういうジジイになるんだという夢を見させてやることである。
簡単なことだ。
それこそ、ジジイの果たす役目なのだ。
そのためには、いつか自分がジジイであることを自覚せねばならない。
いつまでも若い者ぶって「オレはまだ若いんだぁ~~~~」なんてホザいていてはいけないのである。
バトンを渡すなら、なるべく早いほうがいい。
バトンを受け取って、加速する若者を後ろから息絶え絶えになって見送ることこそ、ジジイの醍醐味なのである。
・・・・・・
分かったかっ!!
善光寺(天台宗側)のトップである小松玄澄貫主っ!!
・・・・・・っということです。(^^ゞ