・・・・・・っということで、ぼくの人生いろいろあった。
でも、基本的な路線からは外れていないと思う。
基本的とは何かはさて置くことにする。
ちょっと遅れたけれど、32歳の時には今のカミサンと結婚できた。
フツーに長女を授かった。
さらにフツーに次女を授かった。
そして、まあ一応サラリーマン生活を乗り切り、こうして定年後の生活を送ることが出来ている。
両親は共に健在とはいえないまでも、生きている。
カミサンは二度の癌の危機を乗り切ったに見える。
・・・・・・じゃあ、あとは好き勝手に生きればイイじゃん
・・・・・・ってな恵まれた(?)人生の最終章をぼくは生きていることになる。
いまさら自分を殺してまで仕事に就く気持ちなんかさらさらない。(殺さずに済む仕事は探しているけどね。)
何歳になっても仕事こそ生き甲斐だなんてぇ妄言などクソ食らえである。
・・・・・・でも、何かが足りない。
絶対的に何かが足りない。
曲がりなりにもフツゥーの路線から外れずに生きてきた人生だった。
義務教育⇒公立高校⇒国立大学⇒一部上場企業⇒結婚⇒(障害のない)子供を2人授かる⇒定年まで勤める⇒年金生活に入る
これって、フツゥーだけれど、現代においてはなかなか難しいコースじゃないだろうか。
でも、何かが足りないのです。
それは、孫ができないのです。
こういうフツゥーの人生を送った主人公には、次に孫が現れるべきなのです。
孫さえ現れれば、何の役にも立たない定年後のオヤジに役割が与えられるのです。
・・・・・・
犬でも飼おうかな?
(^^ゞ