・・・・・・っということで、9年もブログを書いていると、知らず知らずの内に同じ内容のことを書いていることがあります。
今朝は「分かるということ」というテーマで書こうと思ったのですが、
いや待てよ、以前も同じことを書いた気がするので、自分のブログを検索してみました。
すると5回も書いていることが分かりました。
その中の一つは3回に分けて書いたので、合計7回ということになります。
http://ameblo.jp/firstlight/entry-10742344850.html
http://ameblo.jp/firstlight/entry-10689462247.html
http://ameblo.jp/firstlight/entry-10681308009.html
http://ameblo.jp/firstlight/entry-10419752252.html
http://ameblo.jp/firstlight/entry-10258272347.html
読み返してみると、実に面白いことを書いているんですね。
いまの自分はあの頃よりずっとバカになったと思い知らされるハメになってしまいました。(T_T)
そして、あのころコメントを書いてくれていたブロ友が、今はもう縁が切れていたり、ブログを卒業していたりして、なんとも寂しい気持ちになってしまいました。
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例によって、前フリが長すぎますね。(-_-;)
さて、ココからが本題:
「わかる」で漢字変換すると「分かる」、「判る」、「解かる」と三種類出てきます。
(・・・なんか同じことをつい最近書いた気がするんですけど思い出せない。)
どれも同じようですが、ぼくはだいたい「分かる」を使うようにしています。
判るは「判明する」ことで、犯人が判る、ウソだということが判るなどの例を出せば、何となく分かった気になります。
解るは「理解する」ということで、算数の答えが解るや、問題の本質が解るという例が適当なのかな?
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さてさて、わかるの中で「分かる」がいちばん面白い。
それは、何故「分け」れば分かるかということです。
人が頭で理解する過程で、知らず知らずに「分類」していることに気付きます。
「桜の木の枝で花の蜜を吸っている鳥はヒヨドリだ」という文章があったとします。
鉱物・植物・動物の中で、桜は植物の一種、枝はその桜の構成要素の一部、花は枝に付属していて生殖活動の機能を持ち、蜜はその花が分泌する甘い液体、ヒヨドリは動物の中で鳥類に分類される。
というふうに分類したものにそれぞれ名前をつけ、頭の中で整理します。
そういう作業を一瞬のうちに行って初めて分かったことになり、この文章が書けるのです。
分かりました?
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さてさてさて、分かるが分かったことにして、一番困るのが人間を分けることです。
男・女、日本人・外国人、若い・年寄り、誰々さん・誰々君、背が高い・低い・・・・・・
これくらいの分類は害がない。
害があるのが敵・味方、好き・嫌い、良い人・悪い人、馬鹿・利口、役立つ人・役立たない人、正直・不誠実・・・・・・
こうなってくると、分からなくなる。
分からないけど、一応分かったこととして分類して頭の中に入れておく。
ところが、その分類が怪しくなってくるのが人間。
裏切られた途端、味方に分類していた人が敵に回ってしまう。
好きだった人が、嫌いになってしまう。
・・・っということは、分かっていたはずなのに分からなくなったということですね。
すると、人間を分かるにはその人と親密に付き合わなければ、ホントーのことは分からないことになる。
親密な例として、夫婦が挙げられる。
ところが、ぼくはカミサンと30年以上も付き合っているのに、結局分からない。
いくら頭の中で細かく分けていっても、その人の本質には届かない。
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っとなると、分かることは世の中に一つもないということが分かる。
分かるとはそういうことであるということを常に頭の片隅に置くことが必要であって、分かったつもりに一応しておくというのが分かるということの本質なんです。
分かりました?