・・・・・・っということで、人類の歴史を振り返ってみると、それはまさに「戦争の歴史」でありました。
歴史が大きく転換するその節目には必ずといっていいほど、物理的な「勝ち負け」の結果が大きな舞台回しの役割を果たしていることを認めざるを得ません。
もし、歴史は「戦争の歴史」が正しいとすれば、それは勝者の歴史です。
力の強いほう、数の多いほう、いわゆる戦争巧者のほうが歴史を作ることになります。
絶対に「正しいほう」が勝つのではありません。
残念ですが。
どんなに貪欲な野望に基づいていても、卑怯な手を使おうとも、「勝ったほうが正義」なのです。
残念ですが。
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しかしながら、「運が良いほう」が勝つことも往々にあることが不思議なのです。
あのとき霧が出なかったら、
あのときアチラに天才的な指揮官が付いていなかったら、
あのとき援軍の到着が少し早かったら、
あのときたまたまコチラの為政者が病気で死ななかったら、
・・・そんなifだらけが勝敗を左右することもまた事実です。
すると、神が人間の歴史に介在しているのかと思いたくなるのも不思議ではありません。
戦争の勝敗は実力だけじゃないんだ、神様が味方するか否かによるんだと考えるのはごく自然のことです。
元寇の侵略を神風が守ってくれたんだ・・・ってなみたいにね。
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現代の戦争では、神の役割は限りなくゼロに近付いています。
経済力があって、政治力があって、優秀な兵器を持っていたほうが勝つのです。
しかしながら、そんな現代の常識を持って過去の戦争を見ると見誤ります。
当時は、もっともっと不思議が世界の多くを支配していたのです。
ですから、キリスト教が正しいから、イスラム教が正しいから戦争に勝てたと信じるのはオカシなことではないのです。
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何を言いたいかというと、
あらゆる意味において強いほうが勝つのが事実なのに、
勝った理由を(あるいは負けた理由を)理論的に分析せずに、人知を超えた超自然のせいだと理解することです。
残念なことに、こういう分析はアジア人は苦手で、欧米人が得意だということです。