・・・・・・っということで、突然ですが:
知人者智
自知者明
勝人者力
自勝者強
知足者富
強行者志有
不失其所者久
死而不亡者寿
この意味は:
人を知る者は智
自ら知る者は明
人に勝つ者は力有り
自ら勝つ者は強
足るを知る者は富む
強を行う者は志有り
其の所を失わざる者は久し
死して亡びざる者は寿(いのちながし)
だそうです。
昨日「足るを知る」について書きましたが、後になってこれが老子の言葉だと思い出しました。
そう、老子。(第三十三章)
となると、一筋縄ではいかないことを覚悟しなければなりません。
ぼくの理解は実に浅く、「現在自分が持っているものにきちんと向き合えば、幸せは既に手に入れているんだみたいなことですよね。」と書きました。
これは誤解に近い解釈です。
この解釈を老子に見せたら笑われるでしょう。
「足るを知る」ではなく、「足るを知る者は富む」であり、さらにこれは全体のほんの一行だけ取り出したものです。
・・・・・・
もし、この三十三章の中で一番老子が言いたかったことは、「其の所を失わざる者は久し」じゃないでしょうか。
前半の「知人者智 自知者明」「勝人者力 自勝者強」の解釈はそれほど難しくはありません。
セットになっていて、前者もいいけど後者のほうがさらに価値があると言っているのでしょう。
要するに、孫子の有名な言葉「彼を知り・・・・」と似たバージョンでしょう。
ところが、問題の「知足者富 強行者志有」の部分から分かりにくくなってきます。
これも前後でセットになっていて、同様に前者より後者に価値があると言っているに違いありません。
足るを知るものは富むとはどういう意味でしょうか。
ぼくの解釈はこうです:
自分がいくつかコップを持っているとします。
それぞれに水が入っていますが、あるコップは満杯であり、あるコップはまだまだ水が入ります。
余裕のあるコップに水を入れるのはいいけれど、既に満杯のコップに水を足してもこぼれて無駄になるだけです。
もちろん、コップの大小にも入る水は影響されます。
富む者とはお金持ちと解釈してもいいですけど、もっと価値のあるもの。例えば、情報とか、知恵とか、心を豊かにしてくれるものとか。
そういう道理をきちんと知った者が富む者じゃないでしょうか。
すると、「貧乏でも心の持ち方次第でリッチになるよ」なんて理解は、実に浅い解釈と言わざるを得ませんね。
さらに、安月給に喘いでいる社員に対して社長に使われると、実に危険な解釈でもあります。
・・・・・・
まだ、これで解釈は終わりません。
さらに、「強行者志有」の意味です。
日本語訳を見てもわかりませんよね。
ところが英訳を見てください。
A person who continues his efforts has already achieved his purpose.
中国語は英語に近いと改めて思わざるを得ませんね。
「努力を続ける者は既に目的を果たしている」
「知足者富」は動きが消極的だけれど、能動的な「強行者志有」のほうが価値があるとしているのです。
・・・っね、老子ってスゴイでしょ?
・・・・・・
さて、肝心の「不失其所者久」ですが、
問題は「所」が何を意味するのか。
前段で書いていることのまとめであるはずですから、「自分を知る」「自分に勝つ」「努力できる」人間が価値があるのですから、「所」はこれらを指していると解釈しなければ筋が通りません。
これらは言葉を変えれば、「普遍の価値」です。
老子は言葉を変えながら、「道(Tao)」を説いています。
即ち不変の価値とは「道」のことなのです。
究極の「道」を身につけた者にとっては「死而不亡者寿」、死など大した意味がなくなるのです。