オスマントルコ(その2) | so what(だから何なんだ)

so what(だから何なんだ)

人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・っということで、オスマントルコを語る上で避けて通れないのが「イェニチェリ」です。


(時代が進むに連れ武器も火力に変化していきました。)

これを最初知った時、全くイメージが湧きませんでした。

帝国内のキリスト教徒の若い息子たちを駆り集めてきて(デヴシルメ制)、無理やりイスラム教に改宗させ、スルタンの親衛隊に仕立て上げたというのです。

親衛隊と言うだけあって、勇敢で忠実で、トルコ軍の中心的な最強部隊になったというのです。

しかも妻帯は許されません。

何か常識外れの異様な雰囲気を感じるでしょ?

・・・・・・

ところが、このシステムは非常に理にかなっていると判るのです。

何でキリスト教徒から集めたか?

教育されたからとはいえ、何で彼らが忠実になるのか?

同じイスラム教徒から徴兵したほうが安心じゃないのか?

ねっ?不思議でしょ?

それは先ず、親衛隊はスルタンに絶対忠誠を誓う奴隷じゃないといけないのです。

奴隷なら、どんな命令にも、例え死ねとの命令にも従うでしょ?

ですが、同じイスラム教徒を奴隷にすることはできないのです。

だからわざわざキリスト教徒から徴集したのです。

彼らは改宗した以上、キリスト教の親元には帰れません。

いわば退路を絶たれたのです。

一箇所に集められ思想教育と軍事訓練を叩き込まれたのです。

もちろん上等な生活と高給を保証されていました。

そうして、最強の軍事集団が出来上がったのです。

当時はどの国もプロの軍隊を持つ国はありませんでした。

イェニチェリに匹敵する敵は存在せず、イェニチェリによってオスマン帝国が領土を拡大したといっても過言ではありません。

・・・・・・

さらにイェニチェリに入団することは、英才教育を受けることでもあったのです。

そのまま軍に入隊する者が殆どでしたが、優秀な者は後に官僚になる道も開けていました。

実際、スルタンに代わって国を動かす実力者である宰相(パシャ)にまで上り詰めた者も出てきました。

・・・・・・

そうなると、わが子を積極的にイェニチェリに入団させたいと思う親も出てきました。

当初は定期的に実施されるデヴシルメから息子を隠していたのにです。

時代が進むと、イスラム教徒からも入隊するようになったり、妻帯も許されるようにもなりました。

イェニチェリの組織が肥大化するにつれ、その発言力も次第に強くなっていきました。

歴史というものは実に皮肉なもので、その国が発展する一番の理由だったものが、時を経るとそれが国の発展の足を引っぱることになるのです。

帝国の後半になると勝手な要求や反乱を起こすようになり、宰相を殺害したり、スルタンを交代させるまでに至りました。

結局は解散させられましたが、イェニチェリが国を傾かせた要因の一つになったのは事実です。

・・・・・・

よくイスラム教は柔軟で、懐が深い宗教だといわれます。

このイェニチェリ一つをとっても、実にユニークな、言い換えれば実力本位の世界だったことが分かりますね。