・・・・・・っということで、このあいだ観た映画の中のバーでのシーン。
バーテンが客にとっておきのジョークを披露する。
「卵か先かニワトリが先か?・・・・・・そりゃぁSexが先さ。」
客は笑えないジョークだなと返すが、ぼくにはとても面白かった。
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この世の中、必ず対になっている。
男に対する女、プラスとマイナス、天と地、陰と陽、善と悪、天使と悪魔、左右、前後、高低、生と死・・・。
だが良く考えてみると、それは言葉であり、言葉は人間が考え出したものであり、厳密に言えばその境界線は絶対的なものではなく単なる概念に過ぎない。
そうは言っても、世の中は何かバランスによって成り立っているように思える。
地球にいまの生命が存在するのも、地球の環境が絶妙なバランスの上に成り立っているからだ。
そのバランスがあまりにも巧妙に出来ているので、ぼくらは神の存在を感じるのであろう。
そう、また「神」の話である。
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キリスト教もイスラム教も神は唯一無二であるとする。
だが、「神」も単なる人間が考え出した言葉に過ぎない。
神と名付けてしまった途端、対になるものを考え出さなきゃならない。
それは「悪魔」であろうか。
神は天国を司り、悪魔は地獄を司る。
すると、卵が先かニワトリが先かの議論に巻き込まれざるを得ない。
でも、流石に神だ。
そんな低俗な議論に巻き込んだらお気の毒だ。
神は万物を創造した高貴なお方であるから。
すると、最初に神が存在しなければならない。
そのあとに彼が「光あれ」と命じて陰と陽、天と地を1週間かけてせっせと世界を築き上げたのだ。
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ここまで考えていくと、納得できない問題にぶつかる。
神はいったい誰が造ったのかという疑問である。
残念ながら、宗教はこの矛盾を上手く説明できない。
説明できるのは物理学である。
そう、ビッグバンである。
宇宙の根源はビッグバンであることが通説になっている。
ビッグバンの大本(おおもと)は何か?
そう、ゼロ、無である。
万物は神が創ったのではなく、無が造ったのである。
それでも神は存在するというなら、神=ゼロでなくてはならない。
(^o^)丿