・・・・・・っということで、天皇は初代神武天皇から数えて今生天皇の明仁まで125代だそうです。
即ち、2700年近く続いているということになりますが、流石にそれを信じている歴史学者はいません。
初代天皇は誰だったか、諸説あって確定していません。
応神天皇かな?継体天皇(6世紀前半)かな?
天皇という称号ではないものの、「倭の五王」の記録のある5世紀ころが天皇のルーツであるとぼくは思います。
するといま21世紀ですから、16世紀、少なくとも1600年は続いていることになります。
1600年ですぜ。
日本って、ホントーに特殊な国なんだと改めて感心してしまいます。
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例によって前置きが長すぎましたが、今回のシリーズはその特殊性について考えています。
長期間権威が続く理由に、「武力」と「神事」を挙げてきましたが、最終回は「外交」です。
たぶんこういうことを言う人はぼく以外にないんじゃないかな?
古代において、「中国」という存在は現代人が感じているのと、かなり異なるはずです。
その時代には「ロシア」なんて存在しなかったのですから、何といっても中国がスーパースターだったに違いないのです。
だって、文字を初め、様々な文化を持っているんですよ。
数多くの政権交代を経験し、統治機構も遥かに緻密でした。
更に大国であるが故に、軍事力は突出していました。
「国家」というものを意識し始めた日本にとって、中国は常に手本であり、そして脅威であったはずです。
そんな国にとって、「外交」が如何に大切であったか、論を待ちません。
後漢書と関係する「漢委奴國王」と彫られた金印(1世紀)から、魏志倭人伝上の卑弥呼が魏に朝貢(3世紀)、遣隋使(7世紀前半)、遣唐使(7~9世紀)など、学校で勉強しただけでも中国との外交は継続されてます。
外交関係を結ぶには、日本という国家を代表する人物は当然必要となります。
それが天皇であったはずです。
日本の特殊性は、そのときの実質的な最高権力者ではなくずっと天皇であったことです。
それは何故でしょう?
ぼくは、天皇家は元々中国語に長けていたと思うのです。
反対する人もいるでしょうが、天皇家は朝鮮半島から日本に侵入してきた部族であると考えられます。
その部族が中国語に堪能で、中国とのコネクションを持っていたという仮説はどうでしょう?
時の天皇の権力の強弱に係わらず、こと外交に関しては天皇家の専権事項であるとの共通意識が定着していったのではないでしょうか。
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何でこんなことを言うかというと、元寇のとき、元の使者に対する返書は朝廷が書くものとされていたからです。
最後は武士である鎌倉幕府が朝廷の対応の遅さに苛立ち、元の使者を切り捨ててしまうのですが、これが天皇が「外交権」を持っていた証ではないでしょうか?
さらに時代は下って幕末、ペリーの要求を扱いかねて、江戸幕府は朝廷に開国するべきか否かの判断を仰いだりしているのです。
天皇の実質的な権力が失われた時期でも、日本という国家の代表者は天皇であるとするのが、日本にとって得であるとの共通認識があったと考えるのがスジでしょう。
これこそが天皇がかくも長期間に渡り存在し続けてきた最大の理由ではないでしょうか。
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「象徴としての天皇」は戦後言われたことですが、実は古代史の頃から天皇はそういう存在であるとの常識を日本国民は持っていたのではないでしょうか。
「現人神(あらひとがみ)」などと祭り上げられた天皇にとって、シナ事変から太平洋戦争に続く悲劇はとても不幸なことでした。
だって、「人間宣言」までしないと国民が納得しなかったのですから。
神ではないことは天皇自身が一番ご存知だったのですよ。
天皇制は危険な部分を含んでいることを国民は学んだはずです。
でも、天皇制はとても優れた仕組みだとぼくは思うのです。
現在だって、外国の元首や大統領、王室が来日した時、まともに応対できるのは天皇しかいないじゃないですか。
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このシリーズ終わり。