・・・・・・っということで、一口に「武士」といっても定義が曖昧なようなので、ぼくなりに分類してみました。
(タイプA)単に武器を持った農民などの一般人。
主に自衛のため自発的に武装する場合と、否応なしに武器を与えられ徴集される場合(奴隷も含む)。
防人などは無理やり徴兵された一般人だったと思われます。
(タイプB)ある程度組織化された武装集団
豪族などの配下のある程度武芸に秀でた集団。
(タイプC)朝廷直属の専業武装集団
貴族は元々各地の権力者であるから、お抱えのタイプBを連れてきていたはずです。
(タイプD)武士化した貴族
坂上田村麻呂や平氏、源氏はこれに入ります。
(タイプE)武装した僧侶
所謂、僧兵ってやつ。
・・・・・・
かなり独善的ですが、こんなふうに分類してみました。
こう考えると、教科書で教える「武士」とは、タイプDを指しているように考えられます。
でも、このように分類してみると、いざ武力を発揮するとなると、各タイプのミックスであることが分かります。
弥生時代の紛争は殆どがタイプAでしょう。
ところが、古墳時代の三韓征伐での倭軍の中身を見ると、たぶんタイプAとタイプBの混成軍であったと考えられます。
飛鳥時代の蘇我vs物部や壬申の乱は明らかにタイプCでしょう。
白村江の戦いでは、より朝廷の意志が働いたタイプA+B+Cだったと考えます。
平安時代に入っての保元の乱や平治の乱では、それまでタイプCで終わっていた戦いが、タイプDに変質してきています。
そして、源平合戦では完全にタイプD同士の戦いになります。
こう見てくると、武士とは単に武装した人間ではないようです。
平将門の乱を例にとれば分かりやすいかもしれません。
平将門は、関東地方の有力豪族出身で、明らかにタイプBです。
彼は武士と呼べるでしょうか?
戦が上手な地方豪族であって、武士とは呼べないのではないでしょうか。
彼は朝廷に反旗を翻したのであって、討伐には朝廷軍(タイプC)が送られました。
すると、武士とはタイプDのことを言うのでしょうか?
平清盛も源頼朝も、元を正せばタイプCです。
平清盛は権力を握ると軟弱になって貴族化したと説明されがちですが、そもそも彼は貴族だったのです。
じゃあ、貴族って何か?といえば元々は地方の豪族上がり、あるいは渡来人なのです。
貴族については、別に書こうと思っています。
ぼくが最初に疑問に思った、武士が貴族の後では変じゃないかという点、なんとなく分かったような分からないような・・・^m^
実は「武士」を調べてみると、諸説があって決定的なものではないようなのです。
日本という国家を形成する試行錯誤の中で、10世紀ころに発生し、11世紀に発足した軍事政権の構成員が武士とするしかないでしょう。
世界史の中でも、この軍事政権はとても特異な誕生の仕方をしていると思うのですがどうでしょう?
だって、戦いを経て力の強いものが政権を握るというのが世界の常識でしょう?
その原因は、たぶん天皇という特殊な制度が大きく関係していると思います。