・・・・・・っということで、今回は大和政権について考えてみましょう。
古墳時代(3世紀中頃–7世紀頃)に大和政権は確立されました。
大和政権の実態は畿内の豪族集団による連合政権といっていいでしょう。
要するに地主の親玉みたいな連中が集まって一国家を形成したのでしょうね。
邪馬台国との違いはナンでしょうね?
邪馬台国は争そっていた小国が卑弥呼という象徴によって、統一を見たのですが、その実態は国家とは呼べるようなものじゃなかったのでしょう。
魏に対して朝貢関係を結んでいたことでも明らかでしょう。
半島から渡ってきた弥生人の性格からして、大陸にお伺いを立てるのは自然なことです。(今の韓国もそうですからね。)
古墳が示すように、時代が進むにつれ、支配力がより強力になっていったのです。
すると、強大な力と富を持つ豪族が、集まって連合国家という体裁を採ったほうが有利だと考えるのは自然な流れでしょう。
何に対して有利だったかというと、半島や大陸に対してに決まっています。
ぼくらが想像する以上に、古代は国際的な影響を受けていたんですね。
古代という言葉から受けるような、原始的なのんびりした時代ではなかったのです。
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では、大和政権内での「天皇」という立場は何であったかが問題になってきます。
勉強不足で、ぼくはまだそのことが理解できていません。
ただ、天皇家は政治の中で祭事を司っていたことだけは確かなようです。
ちょっと先回りしますが、大化の改新のときに蘇我蝦夷が天皇の所掌である「雨乞いの儀式」を勝手に行って反感を買ったとありますので、天皇は卑弥呼の延長のような働きをしていたのじゃないでしょうか。
現代から過去を眺める時、政治に占いが大きな役割を果たすとは理解しにくいですが、古代を考える時、どうもこの祭事の果たす役割は想像以上に大きかったと考えなければならないでしょう。
すると大和政権は、「豪族たちの合議制」と、天皇が果たしていた「祭事」によって政治が機能していたはずです。
なんか、安定性に欠ける政治システムですね。
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次は、飛鳥時代に入りますが、そこからは天皇を避けて通ることは出来ません。
・・・つづく。