芥川シリーズ(最終回) | so what(だから何なんだ)

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そんなお年頃。
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・・・・・・っということで、最初は古典をヒントにして大人向けの御伽噺風の作品を書いていた芥川だったが、晩年(?)のころは私小説風に変化している。

読者としては若い頃(?)の作品のほうが圧倒的に面白い。

多くの作品が人間のエゴを描いていて、分かりやすい。

確かに、人生は物語ではないので、起承転結はない。

ダラダラと続くものである。

毎日の風景や、その時々の心理状態を切り取るほうがより人生の無常や不条理を表す意味で正確かもしれない。

だが、そちらのほうが文学的に上等だとは必ずしも思わない。

より哲学的になるならそれはそれでいいだろうが、芥川の場合、より感覚的、幻想的になっている。

精神の衰弱が明らかに読み取れる。

しかも、その衰弱に薬物の影響が加わっていくのが哀れである。


【河童】

これは面白い。

変なところで感心するけど、河童のネーミングが面白い。

バッグ、チャック、ラップ、ゲエル、トック、マッグ・・・などなど、如何にも河童の名前みたいで彼のセンスは素晴らしい。

内容は人間社会と対比することによる風刺であろう。

でも、そのなかに芥川が自身の狂気を持て余していることが感じられる。

【歯車】

自分自身が主人公である。

作家として社会に認められるようになったが、結局誰もオレのことは分かりゃしないと、正直にぶちまけている。

そう、凄く正直に書いている。

そして、明らかに自分の狂気が進行していることを自覚し、死が近いことを悟っている。

【或阿呆の一生】

自分でも書いているように、これは遺書である。

薬物の影響を受けていることが明らかなのが悲しい。

ぼくには錯乱一歩手前のように読める。

もっと長生きして欲しかったというより、そういう薬物の影響を受けずに正しく(?)錯乱して欲しかった。

【続西方の人】

残念ながら、ぼくにはこの遺作が理解できませんでした。

キリストのことを書いているのだけれど、死期が迫っている彼が宗教に救いを求めたとは読みたくない。