コーランとテロ(その1) | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
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そんなお年頃。
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・・・・・・っということで、難しい話。

イヤ、難しいのはテーマであって、ぼくの書くことが難しい訳じゃない。

そのテーマとは、「イスラムの教義(コーラン)にはテロを容認することが書かれているのだろうか?」である。

その答えは「イエス」。

まさに単純な答えなのである。

ネットで調べれば、あっという間に出てきた。

代表的なものは2箇所。

第9章5節
神聖な月が過ぎたら,多神教徒を見つけ次第に殺しなさい。また,彼らを捕虜にして閉じ込め,あらゆる策力をもって彼らを待ち伏せしなさい。しかし,もし,彼らが悔い改め,礼拝を守り,喜捨を差し出すなら,彼らの道を開いてやりなさい。実に神は寛容で慈悲深いお方である。

第47章4節
「あなたがたが不信仰者と(戦場で)見(まみ)える時は、(かれらの)首を打ち切れ。かれらの多くを殺すまで(戦い)、(捕虜には)縄をしっかりかけなさい。その後は戦いが終るまで情けを施して放すか、または身代金を取るなりせよ。もしアッラーが御望みなら、きっと(御自分で)かれらに報復されよう。だがかれは、あなたがたを互いに試みるために(戦いを命じられる)。」

実にあっけない。

ちゃんと書いてあるじゃないか。

まさしくこれはISILの連中が行っている残虐行為を正当化する文言ではないか。

イヤイヤ、これは解釈の問題であるとか、当時の時代背景を考慮しなければならないとか説明するスジもあるだろう。

そう説明すればするほど、言い訳に聞こえる。

ぼくは、文章のまま解釈したい。

・・・・・・

すると、テロ問題はイスラム教の教義に原因があるので、これはイスラム社会の中で解決すべき問題である。

・・・となる。

要するに我々イスラム教徒以外の人間はお手上げとなる。

・・・・・・

それでいいのだろうか?・・・とぼくは思う。

・・・つづく。