・・・・・・っということで、前回「感覚と言葉」について考えた。
今回はちょっと発展させて「小説は芸術か?」ということを考えてみよう。
芸術について考えるのだから、「感覚と言葉」というより「知覚と表現」のほうが相応しいだろう。
小説家は、自分が得た知覚を文字を媒体にして読者に伝える技術に長けた人といえよう。
例えば、音楽家や美術家は紛れもない芸術家といえるだろう。
表現するための媒体が違うだけだ。
片や音を用いて聴覚を通して、一方は視覚を通して脳を刺激するのである。
自分の知覚が相手の知覚となるように伝えようとする行為には違いがない。
そう、媒体の違いだ。
伝えたいことは同じだ。
なのに、なんで「小説は芸術か?」という疑問を持たれるのか。
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ぼくは前回、言葉は不完全なものだと言った。
いくら小説家が言葉に長けていようとも、言葉自体が不完全なものである以上、自分の知覚は相手に正確には伝わらない。
だがここで考えてみよう。
いくら言葉が不完全なものといっても、伝達媒体としては音楽や絵画のほうがずっと不完全ではないか。
そう、小説家は芸術家かという疑問が生まれる原因はここにある。
言葉という伝達媒体が「完全過ぎる」のである。
(注:ここで、言葉と文字は同義とみなしています。なぜなら小説は朗読してもらっても伝わるからです。)
皮肉な言い方をすれば、自分の知覚したものがあまりにも正確に読者に伝わるものだから、芸術とはみなされないんじゃないかという疑問が湧いてしまうのである。
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さて、同じ文字の媒体を使った詩はどうなのだろう?
さらに短歌は?俳句は?
ほぼ芸術といっていいのではないだろうか?
なぜなら小説よりずっと不完全だからじゃないだろうか。
不完全であるがゆえに、受け手側の想像の余地が沢山残されているからだろう。
音楽も絵画もそうじゃないか。
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小説家はこれに大いに不満を持つ。
表現したいものが同じなら、俺たちの方がずっと苦労している。
なんで俳句に負けちゃうのだと。
と思って、ますます長い文章を書くから、なおさら芸術から離れていってしまうのである。
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今日はこれまで。(^o^)丿