感覚と言葉 | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
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そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・っということで、感覚と言葉の間は遠く離れている。

いま心に感じているもの、ずっと感じていたもの、それを言葉で表現した途端、両者の間には必ずズレがある。

言葉には常に不完全さがつきまとっている。

だから、感じたものは正確に相手には伝わらない。

だが、感じたもの、感じているものって何だ?

心で思うことだろう?

しかし、心で思うとは既に言葉に変換しているのではないか。

無意識に。

言葉は不完全なものだと書いたばかりだが、感覚はそれ以上に不完全だ。

感じたものを自分の中で納得するには、やはり言葉を使うしかない。

感覚を心で思うこと、則ち言葉に変換することによって、初めていま自分が感じているものを整理できるのである。

・・・

多分そうだろう。

いや、本当にそうなのだろうか?

もしそうならば、いま自分が感じているそのものの正体は、間違っているかもしれないのである。

なぜなら、心の中にせよ、言葉に変換したものは不完全だからである。

自分の感覚をもっと正確に表現できる言葉に出逢ったとき、あるいは新しい体験をしたとき、以前整理されていた感覚は、また新しい言葉で上書きされる。

そういった作業を人間は無意識のうちにに繰り返し、自分というものを維持している生き物ではないだろうか。

もし、そういった作業がうまく出来ない場合、則ち自分の気持ちが整理できないとき、不安になるのではないか。

説明の出来ない不安。

正体不明の不安。

不完全でも、自分の感覚を自分に納得させることができる語彙を持っている人は幸福なのだろう。

・・・・・・