・・・・・・っということで、例によって独断と偏見丸出しでトルコ人について感じたことを記す。
トルコ人の鼻はほぼ例外なしに先端が下に垂れている。
ツンと上を向いた鼻は見かけない。
歳をとると、男女ともずんぐりむっくりになる。
もちろん痩せてヒョロッとした老人も居るが、女性は見かけない。
スカーフを被っているので、どれも同じに見えてしまう。
電車とか、バスの車内のマナーは概ね良好である。
年寄りに席を譲るシーンをなんども見た。
もちろんぼくもお婆さんに譲ったが、アタリマエの顔で、礼も言われなかった。
ただ、乗車するときは下りる人なんか構わずドヤドヤと入ってくる。
これはどの国もそうで、日本が例外なのだが。
青年はヤワなのも見かけるが、オッサンになるとがっしりした体型になる。
骨が太そうである。
これは肉中心の食生活にあるようだ。
やや丸顔で、髭と眉毛が黒くて濃い。
良くいえば精悍、悪くいえば狂暴で野蛮なるトルコ人という刷り込みは、この外見に因るようだ。
でも、トルコを旅行した人はその親切なことを例外なく褒めるだろう。
旅先で困った素振りをしている人には必ず役立とうとする。
言葉が通じなくてもだ。
すると、他の人も巻き込んでワイワイやりはじめる。
底抜けに親切な国民だ・・・と感じる。
バスターミナルで不安そうにしている外国人に声をかけ、わざわざ案内してくれる人の中には、チップ目的の人間もいるにはいる。
でも、概ね親切であると考えて差し支えないだろう。
その親切心はどこから来るのかと考える。
これをもって、トルコの国民性はお節介だとか好奇心が強いと結論づけるのは早計だろう。
中東にしばらく住んだことがあるので、アラブ人の親切さは何度も経験している。
彼等はもともと砂漠の遊牧民である。
砂漠で困った人を見たら、必ず助ける。
そうしなければその人が死ぬ可能性が高いからである。
だがそれは親切心から来るものでは必ずしもないことに後から気づいた。
自分が逆の立場になったとき、困るからだ。
・・・・・・
トルコをこうやってバスに乗って走っている限り、見える風景はほとんど丘陵地帯である。(これを盲人が象を撫でるというのである。)
もちろん山岳地帯もあるだろう。
素人目だけれど、農業にも牧畜にも適した土地だといえるだろう。
ということは、遊牧民と農耕民の心がミックスしていると言えないだろうか。
ぼくは国民性は気候風土によって形成されると信じて疑わない。
ただし、それは一定しているとの仮定に基づく。
だから日本の国民性は案外分析するのが簡単だと思っている。
国民性に作用するもう一つの条件は文化の交流にあると思う。
これは複雑だ。
トルコは常に東と西の文化が撹拌される地帯であり続けてきた。
西洋人でもない、アラブ人でもない、東洋人でもない、全ての要素を兼ね備えた稀有な民族であると結論づけてしまおう。
ぼくの見る限り、西洋人の性質はかなり弱いようだ。
ぼくら日本人がトルコ人に対して親近感を覚えるとしたら、トルコ人の中に東洋人と農耕民の2つの周波数に共鳴するのではないか。
ただ、注意しなければならないのは、彼等がアラブ人と遊牧民の波長も持っていることを忘れてはいけない。
もし、トルコ人に対して、理解しがたい印象を受けたとしたら、それはその部分の波長に合わないからではないだろうか。
・・・・・・
言いたいことはお分かりと思うが、トルコ人=親切と刷り込んでしまったら、裏切られたと逆に恨んでしまう危険性が高いということだ。
それを言ってしまったら、どこの国だって同じじゃないかと指摘されるだろうけれど、トルコと深い友情で結ばれる可能性が逆に高いという意味である。
Android携帯からの投稿