こんなとこまで来ちまった。
しかも、各駅・・・・・・(@_@)
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翌日(19日)朝早く起きて函館の隣駅の五稜郭駅で下りる。
ホントーは市電で行くのが楽らしいが、駅から歩いてちょうど30分なので歩く。
想像していたよりスケールは大きくない。
もちろん今まで見てきた天守閣など、最初から存在しない。
日本初の西洋式城砦だそうだ。
このどこが西洋式か、ピンと来なかった。
この城の最大の防御策は、この広い堀である。(完全に凍っています)
渡るには2箇所の狭い橋しかない。
↓ここと
↓ここ
しばらく気持ちを約150年ほど昔に巻き戻して、その時の視点で見ることにする。
すると、もうこの時代、主力兵器が銃と大砲であったことだと気付く。
この敷地の形は、攻める側は十字砲火に晒される仕組みであると分かる。
広い堀を渡ることが出来さえすれば、2重の土塁があるだけで、そこを越えれば内部はだだっ広い広場になっている。
攻める側は逆にその土塁の上から内部の守備兵を狙撃できるようになる。
だから、堀を敵が渡ってしまえば、この城の命運が尽きるというわけだ。
日本伝統の迷路のような道はほとんど設けられていない。
しかも平地なので、有利な上から攻撃される心配も無い。
その代わり、伝統的な日本の城と大きく異なるのが、城郭の内部がとてつもなく広いのだ。
これは、内部に逃げ込む兵員や食料、弾薬を多く確保しようとする発想だ。
いままでのように城が守るのは、篭城する城主とその家族や部下だけではなく、機能を守る城なのである。
五稜郭とはそういう城なのだ。
北海道を守る拠点として、代官や政府機関がこの内部に設けられていたことでそれが分かる。
榎本武揚や土方歳三たちがここに逃げ込んだのは、ここに新政府と対抗する新しい政府機関を置こうとしたからだ。
これが、いままでのような高い山の上に天守閣がそびえる従来の城だったら、彼らは逃げ込まなかっただろう。
公園の脇にはまるで巨大な管制塔みたいのが建っていて、上から五角形の形を眺めようという趣向だが、ぼくにとっては全然興味が無かった。


