駅の連絡通路から城が遠望できます。
流れる川は木曽川。
駅から歩いて25分位で、城門に着きます。
ご覧の通り川側は断崖絶壁です。
ドイツのライン川にはこういった城が沢山見られます。
日本も同じかな?・・・という疑問が湧きます。
門をくぐると、「写真撮ります隊」というたすきをかけた人がサービスで撮ってくれます。
浜松城以来石垣に興味が出てきました。
ぼくの質問とはこうです。
1)川のそばに建っているのは、川を航行する水上交通から税金を取っていたのか?
2)城の位置は戦略上の理由からか、経済的な理由からか。
3)この城を巡って大きな戦いはあったのか。
4)犬山の産業はなんだったか。そして今はなんであるか。
それぞれ、
1)2)水上交通はこの城の手前で終わっていたので、あくまでも戦略的な位置付け。
3)なかった。戦時中も爆撃機はここを飛び越えて小牧基地のある地域を爆撃した。
4)工業も産業もない。農業がメイン。外資のファストフード店は犬山に出店してこないと自嘲気味に話してくれました。^m^
ぼくが見た限りでは、確かに後方の守りは抜群だけれど、逆に言えば背水の陣となり、脱出不可能である。
前面からの攻めに対しては、守る場所が広く分散してしまう印象を受けた。
この城が有名なのは、信長の叔父さんが築いたということ。
小牧・長久手の戦いのときに秀吉がここに陣を敷き、小牧山の家康と対峙したことです。
明治の廃城の対象になりましたが、運よく天守閣は残りました。
ですから木造です。
江戸時代以降は、代々成瀬氏が城主を勤めています。
戦略上というより、文化的に価値のある城といえるでしょう。
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このあと岐阜まで戻って、東海道をさらに西進します。








