・・・・・・っということで、サンタさんを信じますか?
という設問。
ぼくは小学校5年生まで信じていた。
不思議で不思議で仕方なかった。
そこで小学生5年生のぼくは、家中を捜査し、プレゼントの61式戦車のプラモデルを親が戸袋に隠してあるのを見つけてガッカリしてしまった。
そのとき親が言った言葉「もういいでしょう?」・・・・は、今でもはっきり記憶に残っている。
いまの子供たちは、サンタを信じるか?という設問さえ理解できないのかも知れない。
だって、フィンランドのサンタがトナカイが引くソリに乗って、空を飛んで子供たちに玩具を配るんですよ。
あり得ない・・・の一言でしょ?
今まで信じていたほうが不思議といわざるを得ない。
ヨーロッパはいいですよ。
煙突があるから。
でも、日本の家に煙突があるか?
こんな矛盾はいまの子供たちが気付かないはずがない。
あまりにも非科学的でしょ?
・・・・・・
そう、非科学的。
だけれども、非科学的だからサンタクロースは存在しないと結論付けていいのだろうか?
・・・っと、歳を取ると思うようになる。
そもそも、サンタが存在するかしないかの基準はナンだろうと考える。
居るか居ないか。
目で確認できて、手で触って初めて存在というものを理解できるものでしょう?
じゃあ物理的に確認できないものは、全て存在しないといっていいのだろうか?
ねえ、それでいいの?
物理的に確認できたものは全て存在する。
・・・っと認識していいのだろうか?
おっと、それは正しい。
ならば、サンタが居るか居ないかを確認するためには、今夜世界中の子供たちが煙突の出口である暖炉の前で待ち構えて、煤だらけのサンタを触って初めて信じなきゃならんでしょ?
でもねぇ~~~触って感触が得られたものしか信じないというのは、チト寂しいですよね。
もし、そうならば、TVで映る映像を信じるためには、一々その場所に行って、手で触れなければ信じないってことになるでしょ?
そういう疑い深い視聴者ほど、TVの映像をそのまま信じてしまうものなんですヨ。
「疑い深いトマス:doubting Thomas」好きなんです。
彼は、復活したキリストを信じられず、脇腹の傷に指を突っ込むほど彼は疑い深かったのです。
ぼくは歳を取ってだんだん考えるようになったのです。
触らなきゃ分からないもの、自分の目で確かめなきゃ分からないものって、ホントーに真実なのだろうか?・・・って。
心の中だけで存在するものって、物理的に存在するものよりも、エラク(?)ないのか?
ならば、「存在」ってなんだろう?・・・って思いません?
ドォーでもいいじゃないか、触れられるか否かなんて。
その代表的なものがサンタクロースなのじゃないかな?
ここまで社会的に影響力があるのなら、サンタは「存在する以上の存在」じゃないか?
そう考えてもイイんじゃない?