文学以前に、宗教は科学に対して完璧な敗北を喫してしまっている。
天動説や、奇跡といわれる部分は、もう誰も本気で信じていないだろう。
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例えば推理小説。
DNAの解明で、アリバイ工作という部分がとても書きにくくなったはず。
通信手段や、移動手段が発達してしまったので、話の展開にスピードが要求されてきた。
街にはアチコチ監視カメラが設置されてしまったので、それを無視しては物語にリアリティーが失われてしまう。
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例えば恋愛小説。
男女の出会いや会話を、メールや、SNSの存在を無視して書けない。
生まれた子供が誰の子かなんてストーリーは、もう成り立たない。
そのうち脳の解明が進むにつれ、恋愛感情そのものが化学式で説明されてしまうかも知れない。
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こうみてくると、科学には世の中を便利にするけれど、どんどん味気ないものにしてしまう罪がある。
DNAの解明によって、どんな背格好で、どういう性格を持った、どの程度の知能の人間が生まれてくるか予測できるようになるかも知れない。
IPS細胞や、クローン技術の発展によって、あらゆる病気や怪我が治療され、人類の寿命は飛躍的に延びるかもしれない。
確率論によって人間の行動パターンが気象予報のように予測されてしまう。
そういう世界にもう文学が成り立つ余地はなくなってしまうだろう。
なぜなら、文学が扱う情緒とか運命とかいう不確実性を、科学は徹底的に排除する学問であるから。