・・・・・・っということで、その2は書くつもりはなかったのだけれど、努力の分析もいいが、年長者として今まで努力をした自分の経験談を語ってもらわなければ、観念話ばかりで分析に重みがないと指摘されたので、蛇足として書きます。
念を押しますが、これは蛇足ですよ。
・・・・・・
先日二人の社長が共著で書いた本を読んだ。
その中に、自分が如何に努力をしたか、随所に書かれていた。
曰く、(オレみたいに)成功したいならば半端な努力では足りない。
自分と比べたら、キミらの努力なんか努力といえない。
・・・ってな趣旨だった。
こう書くとイヤミな社長だと思われるかもしれないが、人間そのものは下品ではない。
経営哲学は実際の努力によって重みが増すのであって、それを知ることは人生の参考にするだけの価値があるのだから書きたくなる気持ちは分かる。
だがいくら気をつけても、努力を書くと下品になる。
要するに自慢話にならざるを得ないからだ。
他人が評価して書くのは良いですよ。
でも自分の努力は書くべきじゃない。
もっとも、成功者だから書く権利があるのでしょうが、少なくともぼくは自分が成功者だと思っていない。
他人から見ると、それは努力が足りなかったのだろうと評価するだろうし、自分自身もそう評価する。
努力ってそういうものじゃないでしょうか?
・・・・・・
そうはいえ、努力嫌いのぼくでも血を吐くくらい一生懸命になったことは何度かある。
そのうちで実際に体を痛めたことも。
殆どは満足な結果を出せず挫折したし、結果を出しても評価されなかった。
たぶん努力が足りなかったのだろう。
そもそも失敗した努力なんて努力のうちに入らないのだろう。
・・・ホントーにそうか?
自分でそう納得しなきゃならないのか?
あのCMのバスケットの選手は部活を辞めるとき、そういう葛藤を抱えていたはずだ。
そして、アナタもそういう葛藤を抱えているんじゃないか?今も。
自分自身を褒めようなんて言うつもりはさらさらない。
だが、少なくとも種を蒔いたことだけは事実だろう?
それだけは言えるだろう?
耕し方も不十分だったかも知れない。
蒔く時期も場所も、蒔いた種も悪かったのかも知れない。
でも蒔いたことだけは事実であり自分だけが知っている。
そう、自分だけが知っているのである。
それは口に出していうべきものじゃない。
・・・・・・
以上、蛇足でした。