・・・・・・っということで、日本人は真似が上手い。
その反面、教えることは下手だ。
日本人は見て覚えろとだけしか言わない。
師匠の技術を盗めという。
これは一見ファンタスティックなのだが、その実は教え方が分かっていないだけである。
それに比べ、欧米人は数値化するのが得意だ。
それは芸術の分野でもいえる。
日本人は、芸術が数値化されるとは先ず考えない。
芸術は神秘的なものだから。
だが欧米人は、どんな神秘的なものでも先ず数値化出来ると考える。
日本の三味線、お琴、うたい、尺八・・・それらには不完全な、そして互換性のない、楽譜とは到底いえない教則本しかない。
だが、欧米人は音楽は全て五線譜で表現できると考える。
そして、音程はもとより、音階、和声、音律と音楽理論として理論化される。
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柔道や相撲で問題が起きるのはこのためだ。
師匠は見て覚えろとしか言わない。
一見無駄であるような動き(それは実際に無駄なのだが)を何度も何度も繰り返えさせる。
そして、それに疑問を挟むと根性が足りないといわれる。
それでも食い下がると、ビンタを食らう。
師匠は教え方がわからないだけだ。
なぜなら、それは教える対象が数値化され、統計化され、理論化されていないからだ。
そこで、弟子が理論的な説明を求めると、プライドの問題にすり替えられてしまう。
「貴様ぁ生意気だ」っと、鉄拳制裁が下る。
ぼくからすると、こういう師匠にも同情の余地がある。
だって、彼らも彼らの師匠から、「見て覚えろ」としか教育されていないからだ。
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日本人は優れた文化と伝統を沢山持っている。
だが、それらの良さは日本人の間で認識されていない。
皮肉なことに、ガイジンがその素晴らしさを発見して驚くのだ。
肝心の日本人は、欧米の新しい文化に夢中で、自分たちの文化の素晴らしさにゼンゼン気付いていない。
だって、外来の文化はどれも数値化され、統計化され、理論化されているからだ。
欧米人は、自分たちの文明が一番上だと信じて疑わない。
その証拠に、どこへ行っても土着の文明に勝つからだ。
勝負をすれば自分たちの文明が連戦連勝なのだから、そう考えても不思議ではない。
五線譜の上で誰でも再現出来る音楽と、限られた師匠にしか伝えられない音楽と比べれば、勝負は自ずから明らかなのだ。
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もちろん日本人の芸術に対する考えは間違っていない。
ホントーの芸術が数値化されるわけがない。
欧米の音楽家だって、ホントーに心を打つのは、楽譜には表せない部分だというくらい知っている。
だけれども、せっかく作り上げた自分たちの素晴らしい芸術を、「普遍化」しようとする。
普遍化して歴史上に自分たちの文化を残そうとする。
日本人は、せっかくの自分たちの文化を普遍化するという発想を持たない。
日本人と欧米人の決定的な違いはここにあるのではないだろうか。