・・・・・・っということで、日本の自然は美しい。
今回は甲斐⇒信濃⇒越中⇒越後と巡ったことになる。
日本国土の美しさの一端を味わうには、もうこんな山岳地帯に踏み入らなければならないというわけである。
東京に限らず人間が住む地帯では、自然はありのままの姿であることを許されない。
コンクリートやアスファルト、プラスティックや合成繊維で地表は侵食し尽くされるからだ。
海岸線は波消しブロックやコンクリートの岸壁で取り囲まれ、河川は堤防で動きを封じられてしまっている。
それでも人間というものは勝手なもので、自然を渇望している。
唯一自然に許された場所は公園だが、それは人間の都合に合わされたもので、既に自然とは呼べない代物である。
平地という平地は人間の不統一で不細工な構造物で覆い隠され、それでも足りないとなると斜面という斜面は無残に削られた。
だから、ぼくらはここのような山岳地帯にあこがれる。
そこには、ありのままの自然が残されているからだ。
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だが、ここ高原といわれる地帯でも、人間による侵食の手から逃れられない。
山ろくはまだらにスキー場やゴルフ場でえぐり取られている。
それでもまだ自然はかろうじて主役であることを許されている。
金銭に目のくらんだ人間どもが好き勝手に構造物を作りまくっていったが、経済の下降とともにそれは打ち捨てられその多くは無残な姿を曝している。
いつかそれらは朽ち果て、自然の中に取り込まれていくことだろう。
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残雪の妙高山、鹿島槍ヶ岳、唐松岳、白馬岳などの堂々たる姿を眺めていると、ここまでは来られないだろうと彼らに見下されている様な気がする。
いくら人間が自然を思うまま破壊し続けても、これらの山々の寿命には敵わない。
人間が地球上から消え去っても、彼らは存在し続けるのだ。
人間が絶滅したあと、自然は長い長い年月をかけて、人間の作ったものを丹念に消去してゆくことだろう。
そして、全てが消し去られたあと、日本は本来の美しい姿を取り戻すのだ。
だけれども、その美しさを美しいと感じられる人間はこの世のどこにも存在していないのである。