・・・・・・っということで、国民栄誉賞について。
昔、イギリスのヴィクトリア女王は勲章を沢山創設して、それを実に上手く利用していました。
彼女の創設ではないけれど、ガーター勲章は有名ですよね。
明治天皇から歴代の天皇が受勲されています。
ちなみに有色人種での受勲は日本だけです。
これは明らかに外交目的に利用されていますよね。
口には出さないけれど、外国の君主はみんな欲しがっている。(^^ゞ
それは「権威」があるからでしょう。
勲章なんてぇものは、自分のやってきたことの価値が、形として認められたことになるので、だれでも貰えば嬉しいはずです。
国民栄誉賞も勲章と似たようなものでしょうね。
でも、何か違う気がする。
ぼくは選定基準があいまいなところに問題があると考えてきた。
ノーベル賞だって、アイツが貰って何でオレが貰えないんだと憤っている人がきっと何人もいるはずです。
でも、少なくとも何かの基準のもとに、委員会が真剣に検討するシステムはある。
国民栄誉賞にはそんな基準のかけらもないように見える。
そこが問題だと思う。
そこが曖昧なままだと、受ける側にその問題点を無責任に押し付ける結果となってしまう。
「なんでオレが?」とか、「アイツのほうが相応しいんじゃないか?」と松井君も受けるべきか受けざるべきか逡巡したと思うんです。
そして何より問題なのが、「あちゃぁ~こんな賞を貰ったからにはヘタなことはできねぇ~ぞ」という大きなプレッシャーを抱え込むことなんです。
与えるほうは気楽です。
だから、それを覚悟して受賞した松井君は偉いのです。
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だけれども、先の勲章にしろ表彰にせよ、基準があいまいなのは共通していることに気付く。
どの賞もその本当の狙いは、与える側の外交目的だったり、人気取りだという魂胆が透けて見えるのです。
国民栄誉賞の選考基準が曖昧だと目くじら立てても、仕方の無いことかも知れません、
国民栄誉賞が問題なのは、その基準が曖昧であること以上に【権威】に疑問があることじゃないでしょうか。
イギリス王室にしろ、スウェーデン王室にしろ、日本の皇室にしろ、絶対的な権威がある。
ハッキリ言って、時の総理大臣の人気取りだと見透かされた賞なんて【権威】が感じられないところに問題があるのです。
首相の気まぐれで、出せと言われたら出さざるを得ない、そんな賞は存在理由から考え直さなくちゃならないんじゃないでしょうか。
そんな賞が無くとも、権威のしっかりした「文化勲章」の範囲の中で出来ることなんじゃないでしょうか。
「国民栄誉賞」なんて、「社長表彰」とドッコイドッコイだと思うようになれば、日本国民も成長したといえるかも知れませんね。(^^ゞ