・・・・・・っということで、3月11日は旅行中に過ぎた。
もう忘れてしまいたいと思う気持ちが、正直なところある。
だって、阪神淡路大震災は心の中では蓋が閉まっている。
だけれども、今回の東北大震災は蓋が閉まる見込みも立っていない。
依然、現在進行形だから。
2年経った今頃になって、当時の放射線量がおぼろげに分かってくる始末だ。
相手は原子力事故なだけに、ほとんど永遠に日本人はこの災害を、蓋が半開きの状態で心の中で飼い続けなければならないのだろう。
どんな災害も、いつかは癒える。
だが、この災害だけは特殊だ。
日本人は核に呪われた国民なのだろうか。
・・・・・・
この災害の特殊性は、多重災害であったことだろう。
1.地震による災害
2.火災による災害
3.津波によ災害
4.原子力の放射線漏れによる災害
阪神淡路大震災では1.と2.止まりだった。
余計なのが、4.であった。
だが、まだ余計なものがあることを忘れてはならない。
5.政府による災害
あの時、日本は不幸なことに民主党が政権を維持しており、よりによって菅直人が総理大臣であったことだ。
まあ、鳩ボンが総理じゃなかっただけマシだという考えもあるが。
歴史にifは禁物なので、彼のリーダーとしての適性のなさは、誰の目にも明らかであったことに異論はないであろう。
そういう意味で、多重災害だったのである。
・・・・・・
リーダーの資質の中で、「言葉」は非常な重みがある。
日本のリーダーの言葉の貧弱さはどうしたことだろう?
言葉なんて、と思うかも知れないが、危機存亡の時にこれほど重要なものは他にない。
昔から歴史が変化するターニングポイントでは、リーダー達の有名な言葉が残っている。
あえて具体的に書く必要はないだろう。
それによって、勇気が与えられ、希望が与えられ、死を賭しても守らなければならないものがあることを皆は思い出すのだ。
日露戦争以降、日本人のリーダーによる言葉が極端に少なくなるのは何故なのだろう。
今回の阪神淡路大震災で、菅直人はその言葉の重要性を知っていただろうが、所詮器が小さすぎたのだ。
そして、2年後の安倍総理。
名台詞を一生懸命考えたフシがあるが、いかにもタイミングが遅すぎる。
・・・・・・
いつも思う。
敵が戦ったのは日本軍ではなく、日本兵であった・・・と。
今回の災害でも、不幸に耐え、戦って傷付き、死んでいくのは、いつも最前線に取り残された一般市民なのである。