・・・・・・っということで、科学に与えられた使命は世の中をより便利にであろう。
背後にあるのは、便利になることは即ち「幸福」になれるという、共通認識であろう。
そして、科学は発展してきた。
歩いて何年もかかったところを、帆船に乗れば数ヶ月で到達できるようになった。
ぼくが今日行くところは地球の反対側だけれど、今日中には着ける。
旅行ばかりでなく、買い物も、辞書を引いて調べることも、手紙を書くことも、インターネットがあればワンクリックだ。
こうして見てくると、便利とは「時間短縮」であったことに気付く。
その結果、むかしとは比べものにならないほどの「時間の創出」が可能になった。
そうだ、時間の創出とは「人間が自由になること」に他ならない。
そういう意味で、科学はその役割を愚直に果たしてきたし、これからも果たし続けるであろう。
だが、人間はどうなのだ?
自由になったのか?
そして、幸福になったのか?
・・・・・・・・
もう一方、科学が果たした役割は、「選択肢」を増やしたことだ。
品物に限っても、特別な拘りさえ持たなければ、それしかないものなんて無い。
より良くて安価なものであふれる世の中を夢見て、先進国ならほぼこの夢を実現した。
だが、選択肢が増えた結果、人間は幸福になったであろうか?
・・・・・・・・
いま豊富な時間と選択肢を前にぼくらは戸惑っている。
それが現代というものだ。
どうするかを考える前に、少なくとも、この現実を認識することが大事じゃなかろうか。
そして、思い出さなければならない:
「世の中には時間をかけることが必要なことがあるのだ」
・・・と。