時間をかけること | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・っということで、科学に与えられた使命は世の中をより便利にであろう。


背後にあるのは、便利になることは即ち「幸福」になれるという、共通認識であろう。


そして、科学は発展してきた。


歩いて何年もかかったところを、帆船に乗れば数ヶ月で到達できるようになった。


ぼくが今日行くところは地球の反対側だけれど、今日中には着ける。


旅行ばかりでなく、買い物も、辞書を引いて調べることも、手紙を書くことも、インターネットがあればワンクリックだ。



こうして見てくると、便利とは「時間短縮」であったことに気付く。


その結果、むかしとは比べものにならないほどの「時間の創出」が可能になった。


そうだ、時間の創出とは「人間が自由になること」に他ならない。


そういう意味で、科学はその役割を愚直に果たしてきたし、これからも果たし続けるであろう。


だが、人間はどうなのだ?


自由になったのか?


そして、幸福になったのか?


・・・・・・・・


もう一方、科学が果たした役割は、「選択肢」を増やしたことだ。


品物に限っても、特別な拘りさえ持たなければ、それしかないものなんて無い。


より良くて安価なものであふれる世の中を夢見て、先進国ならほぼこの夢を実現した。


だが、選択肢が増えた結果、人間は幸福になったであろうか?


・・・・・・・・


いま豊富な時間と選択肢を前にぼくらは戸惑っている。


それが現代というものだ。


どうするかを考える前に、少なくとも、この現実を認識することが大事じゃなかろうか。


そして、思い出さなければならない:


「世の中には時間をかけることが必要なことがあるのだ」


・・・と。