・・・・・・っということで、アルジェリアでのテロ事件。
なんでイスラム過激派はこういう事件ばかり起こすのだろう?
原因がイスラム教にあるような印象を受けるが、コーランはそれほどテロと結びつきやすい思想が書かれているのだろうか?
有名な言葉に、「コーランか剣か」があるが、実際はその間に「納税か?」があるそうだ。
イスラム教徒だけが狂信的になり、自らの宗教を盾に世界中を征服しようと残虐行為を行うのか?
ここまで書けばお分かりのとおり、キリスト教も変わらぬどころか、それより酷いことを行ってきた、あるいは行っているではないか。
アステカを征服したコルテスを例に挙げるまでもないだろう。
ぼくは、イスラム教は全く関係ないと考えている。
原理主義者というものは、融通の利かない人間である。
かのマルチン・ルターだって、いまから思えば原理主義者だ。
正しいものは世の中に一つだけと考える連中だ。
彼らはコーランを利用しているだけだ。
こういう連中は、いつの世にも存在するものだ。
ついこの間も、ヒトラーという人物がいたではないか。
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イスラム過激派が何故テロに走るか、コーランをいくら研究しても無駄である。
彼らの根底にあるのは、「コンプレックス」だ。
何に対してか?
それは西欧文化、いわゆるキリスト教の文化に対してとしか考えられない。
西欧が暗黒の中世を迎えているときに、アラブ文化は爛熟期を謳歌していて、学問でも技術でもキリスト教となんか目じゃなかったのだ。
ところが、レコンキスタが完了して大航海時代を迎えるに従い、交易で潤っていた彼らの地位は、次第に西欧にやられっぱなしの状態が続くのだ。
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えっ?そこまで遡るの?と思われるかもしれないが、テロの根源を考えるときはこれは避けて通れないのである。
はっきり言って、アラブ社会は近代化が遅れている。
彼らの心の奥深くには、どうにもならない焦りがあるのである。
以前にも書いたことがあるが、テロ問題はアラブ社会の中の問題なのである。
彼らの中で解決しなければならない問題なのである。
解決の中心となるのは、やはり富の公正な分配からであろう。
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アラブ社会が自らを真摯に見つめ直さない限り、かれらは現在のコンプレックスから開放されないであろう。
それが出来ないと、いつまでもアメリカやイギリスや、フランスからチャチャを入れられる状態が続くであろう。