【キリスト教を問いなおす】 | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・っということで、読書感想文。

キリスト教について、いろいろと考えるヒントが得られた。

キリスト教への疑問を真正面から受け止め、誠実に答えようとしてその姿勢は高く評価せねばならない。
例えば、十字軍のようにキリスト教の名前で幾多の戦争や残虐行為がなされたのはなぜか?
神の説く愛とは何か?
善人なのに不幸になるのは何故か?
祈っても通じないのはどうしてか?
一神教はどうして他の宗教に対して不寛容なのか?
何で神は見えないのか?
などなど・・・

これらの疑問に対して、聖書からはもちろんのこと、古今の書物を参照して説明している。
だけれども、説明すればするほど、こういう説明が必要なこと自体おかしいことに気付く。
そもそも宗教なんて、理屈じゃないんだ。
疑問を挟まず頭から信じてりゃいいんだ。
・・・宗教ってそういうものはないだろうか?

だが、理性抜きで信じろというと、それは学問ではなくなる。
そう、神学というものが存在するくらい、キリスト教は理屈っぽいのが特徴だ。
それが自信のなさに見えてしまうのはぼくがひねくれているからだろうか。

キリスト教の本質を解明するためには聖書が基本であるが、その聖書が分かりにくいのである。
それぞれの学者が自分の都合よい解釈が可能なのだ。
それを元に、ぼくのような無神論者を説得するしかないのが難しさの原因じゃないだろうか。

・・・・・・

とはいえ、キリスト教に対する疑問のいくつかが分かった気がする。
例えば、なぜあれほど布教に熱心なのかという点。
「わたし-あなた」の教えがそれを推進しているとか、
何者であるかは、一般的なことと個人的なものを分けて考えるべきという意見には賛成だ。

一方的な信者からの立場じゃないところから回答しようとする姿勢に、とても好印象を受ける。

良書である。