・・・・・・・っということで、最近の居酒屋は飽きた。
メニューはどこも同じで違いが感じられない。
この店の、これは美味いというものがない。
ただただ塩ョッパイだけの味付けだ。
こんなに差別化されていない業界での競争がどこに行き着くかというと、
結局価格競争に落ち着く。
味では勝負できないので、安さで勝負することになる。
すると、ますます内容は貧弱なものになっていく。
安くなれば、それなりの品質にせざるを得なくなるのだ。
酔っ払いなんて、安く酔いさえすれば味なんてドーでもいいというのも、この現象に拍車をかける。
ならば、居酒屋なんか行かなくても、酒とおつまみを途中のスーパーで買って、家で飲めばいいじゃんということになる。
すると、ますます居酒屋同士で少ない客の奪い合いをする。
薄っぺらな店で、薄っぺらのサービスを受けながら、薄っぺらなおつまみを食べながら、焼酎やトリスのハイボールをあおるのだ。
居酒屋も個性がなくなったが、飲むほうの個性もなくなった。
両者ともマニュアル通りなのだ。
こんな居酒屋なんかもう要らないんじゃないか?
・・・・・・
何を言いたいかというと、日本の全てがニセモノになっていくと言いたいのだ。
牛丼チェーンも同じ運命を辿っているといえる。
スジと脂だらけの安い牛肉を限りなく薄く切って、古米の上に広げる。
これで「牛肉を食った」と信じ込みたいのだ。
回転寿司も同じだ。
じゃあ本物を食べようとすると、ベラボーな値段で、ベラボーな少なさだ。
そういう店に行くと、美味いことは美味いが、ナンだこの少なさはっ!
外人だったら絶対怒り出すぞっ!
・・・と、いつも呟く。
それでも、目の玉が飛び出しそうな請求書に文句も言わず、黙々と金を払う。
だから店は余計につけ上がる。
海外のレストラン、特にアメリカに行ってみたまえ。
量が少なすぎるなんて、お目にかかったことがない。
全て本物をケチらずに提供する。
そうしなければ、客からそっぽを向かれるからだ。
西洋に限らず、アジアも同じだ。
日本は世界の非常識なのだ。
・・・・・・
しがないサラリーマンでも家族に本物を食べさせてやりたいと思うはずだ。
だけれども、連れて行く先は回転寿司がせいぜいなのだ。
それでも、「今日は寿司を食わせてやるぞっ!」と高らかに宣言して行くのが回転寿司なのだ。
これじゃ、子供達が本物の味を覚えるはずがない。
かくして本物を知らない大人が粗製乱造されるのだ。
この国では・・・・・・
不景気なのは仕方がない。
不景気なときにケチらないのは、アホだ。
でも、そんな世の中でもホンモノは残すべきだ。
マガイモノばかり氾濫させる必要はない。
・・・・・・・っということ。