最前列物語 | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、わが国は民主主義国家だから、最前列は誰のものでもない。


誰が立ってもいいことになっている。


最前列のいいところは、インストラクターの動きが良く見えることだ。


だから、初心者に是非立ってほしい席である。


インストラクターも初心者に「さあ遠慮せずにドーゾ前へ」なんて言っているが、あれはウソである。


本心は、上手い人に立って欲しいに決まっている。


何故なら、インストラクターが手を抜けるのだ。


加えて、インストラクターが間違ったりド忘れしても、頼りになるからだ。


会員側もそのほうがいい場合が多い。


インストラクターが見えない後方からでも、上手い人が前でやっていればそれを参考に出来るからである。


・・・・・・


ぼくはどちらかというと最前列の左右端が好きだ。


単によく見えることと、2面に人が居ないためぶつかる心配がないからだ。


もちろん間違っても、後ろに迷惑がかからない。


そういうぼくでも、巡り会わせで最前列中央でやることもたまにある。


そのときのプレッシャーはとても大きい。


後ろの人に悪いから、間違っちゃいけないと緊張するのだ。


もう二度とやりたくないと思うのである。


・・・・・・


ところが、腕に覚えがある人(上手い人ね)は、好んで最前列に行きたがる。


既に述べた理由から、他の会員もそれに異存はない。


理想としては、「まん前が空いていますよ~」とインストラクターが会員達に促すシーンで、皆から押されて前に出て来る会員である。


ここに、民主主義の理想的な姿がある。


上手いからといって出しゃばらず、人間的にも好かれている人が最前列に立つ。


・・・・・・


ところがどっこい、それはあくまで理想で、現実はそうはならないのが世の常である。


まず、最前列の定員に満たないときは良いが、希望者が定員をオーバーする場合である。


要するに、上手いと自認する会員が空席を争う場合である。


ここで問題なのが、上手いかどうかが客観的事実ではなく、「自認」に係わっていることである。


最悪のケースは、体のでかいオッサンが、ホントーは下手なのに上手いと勘違いしているケースである。


しかも、こういうオッサンは例外なく周りが見えず、ずうずうしい精神の持ち主なのだ。


・・・・・・


この最前列物語を見るだけで、民主主義の本質とはどういうものかがとてもよく理解できる。


・・・・・・・


蛇足:


もう一つ最前列物語に付け加えたいのは、いくら上手くても地元の会員が優先であることは論を待たない。


法律には書かれていなくとも、外部の者が地元民を優先するのは、マナーとして尊重されるべきである。