・・・・・・・っということで、間が空いてしまったが、努力についての断想のつづき。
「無駄な努力はするな」というほうが理に適っているのではないかというところまで来た。
すると、無駄な努力と、有意義な努力の境目が問題になってくる。
テーマからすると、報われる努力と報われない努力の違いというべきか。
これは、各自の価値観によってくるので難しい。
だれでも、「もうチョット努力すれば成功していたのに。」と言われるのが怖いのだ。
だから、無駄だと分かっていても努力してしまう。
ぼくはこれが問題だと思う。
日本人は努力に価値を置き過ぎていないだろうか。
目的達成を評価するのではなく、努力そのものを評価するのである。
無駄だと分かっていても、本人が努力する限り、つい応援してしまう。
気持ちは分かる。
だが、「君の努力は立派だけれど、もう諦めて次の目標に向けて努力するほうが君のためだよ。」
と伝えるほうが余程本人への愛は強いのじゃないだろうか。
・・・・・・・
努力は美徳どころか、有害でさえあるのだ。
例えば太平洋戦争末期。
負けだと分かっているのに、少年や老人まで徴兵して、途中魚雷で沈められてしまうと分かっていながら、船に詰め込んで南の戦場に送り続けた。
勝つためじゃなくて、最後まで一生懸命努力したんだという点に価値観が摩り替わってしまった。
負けちゃったけれど、これだけ努力したんだから仕方ないとの責任逃れのために、何万もの尊い人間が犬死させられたのだ。
これはどう見ても無駄な努力に分類される。
こうなると、努力は美徳ではなく、悪徳と言って差し支えないのではないだろうか。
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努力を手放しで褒めることについて、もう一度考えてみるべきじゃないだろうか。
たいていのマトモな人間なら、努力を隠そうとするのが良い例だ。
水面下で一生懸命足をかいているんだけれども、上半身は涼しい顔をしている。
努力もせずに簡単に諦めてしまうのはもちろん問題だが、無駄な努力だとして早めに見切りをつけることは大事ではないだろうか。
・・・ホントーは続けたいのだが、このテーマ一応ここでオシマイにする。