・・・・・・・っということで、このシリーズでぼくなりに考えてきたことをおさらいしてみよう。
まず、「科学の進歩によって人類は幸せになる」という大前提を設定した。
それに対して、3つの疑問を提示した。
第1の疑問
科学の進歩で得られたものの大半は、「時間」だったことに気付く。
では、昔と比べてはるかに多くの時間を手に入れた現代人は、幸せになったのだろうか?
第2の疑問
パソコンの登場によって、情報格差が出るのは分かるが、情報を持っている者のほうがホントーに幸せなのだろうか?
第3の疑問
間違いなく科学は進歩した。
だが、それに伴って人間も進歩したか?
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まとめて結論を言ってしまえば、科学の進歩によって人間は、「確実に幸せになっているはずなのに、その実感を持っていない」ということである。
自由になる時間が増えても、その時間をどう使うか。
増えた時間の質が問われているのに、結局その質を高められないのでいる人が殆どじゃないか?
情報を沢山持っているからといって、その情報をきちんと人間が使いこなせいているのだろうか。
それより何より、情報の質を見極める目が育っていないんじゃないか?
すると、結局、人間は科学の進歩によって、人間の本質は何ら変わっていないというところに落ち着かざるを得なくなる。
ナポレオンが言ったことを別の言い方に変えれば、実は「科学と幸福は関連性がない」ということじゃないだろうか。
人間を幸福にするのは、科学の進歩なんかではなく、全く別のものによっていると考えるべきじゃないだろうか。
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世の中がいくら便利になったとしても、人間というものはその便利さにすぐ慣れてしまい、無かったときのことをことを忘れて、さらに次の更なる便利さを求めるものだ。
パソコンを器用に使って、いくらインターネット上を泳ぎ回るのが上手になったとしても、結局人間の本質は変わらない。
人間が変わるのはもっと別の要因で変わるのであって、技術の進歩とともに人類の考え方や知恵が進歩するのではない。
人間が進歩するのは、教育によってであり、対話によってであり、そこから生まれる教養や、道徳観、価値観によるものじゃないだろうか。
こう考えると、太古の昔から人間の本質は殆ど変わっていないし、何ら変わる必要もないような気がする。
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科学の進歩により、目まぐるしい勢いで変化する環境に現代人は晒されている。
そういう時代だからこそ、自らの本質を見失ってはいけないのではないだろうか。
・・・・・・end.