・・・・・・・っということで、瓦礫問題である。
東京都はいち早く受け入れを決定したが、他の自治体はどこも及び腰である。
住民の反対が強いからだ。
これを見て、
【ナンダよ、『絆』なんて調子のいいこと言っておいて、イザとなったらそれかよ。】
と思う国民も多いことだろう。(外国人も思うだろう。)
ぼくもそう思う。
大文字焼きに被災地の松を使おうとしたら、京都の住民が反対したというのは明らかに異常だが、反対する人の気持ちも分からないではない。
持ち込む瓦礫の放射能検査をして安全だったら、反対する側の論拠がなくなり、それは住民のエゴと非難されるべきだろう。
そんなことは、反対する側だって百も承知のはずだ。
反対する理由は、その検査そのものの信頼性に向いているはずだ。
要するに、安全だといわれても信用できないのである。
最初のうちは、ちゃんとした(?)瓦礫が搬入されるだろう。
だが、いったん受け入れたら、「厄介な瓦礫」も混ざってくるのじゃないか。
そういう悪徳業者なんて、容易に想像できるからだ。
燃えるゴミ回収の日に、燃えないゴミを一つ混ぜてもドーセ分かりっこない、という心理と同じだ。
その恐れさえなければ、日本人なら助け合うことに異論はないはずだ。(そう信じたい。)
そこで、自治体もハタと困る。
そういう抜け穴を完全にふさぐ方法は、ないだろう。
「みんな信用し合いましょうよ」と情に訴えるしかない。
・・・・・・・
今回の震災で、浮き出てきた最大の問題が、この【お上は信用ならん】という国民の認識だろう。
古くは、水俣病や、薬害エイズ。
度重なる国会議員や官僚の汚職。
年金問題。
こういう問題がボディーブローのように国民の不信感を蓄積させてきたのだ。
そして、今回の原子力事故で見られる彼らの隠蔽体質が、国民の心にそれを定着させる決定的な役割を果たしたのだ。
信用しろというほうが無理なのである。
これは、日本にとってとても不幸な問題だ。
復興は瓦礫の処理が進まないと、始まらないからだ。
お上の罪は重い。
そしてそれを許してきた国民も。