・・・・・・・っということで、もっとストレートに書いた方がよかったかもしれませんが、日記はいくら読者を自分だけに限って書いたとしても、他人に読まれないという保証は全くない。
だったら、自ら積極的に日記を公開してもいいでしょう?
それが新しい日記の進化形じゃないですか?
それがブログの基本じゃないかということ。
即ち、日記=ブログで何らおかしくないでしょ?という論法です。
ホントーは今までの日記でも、公開したいというニーズが沢山あったとも言いたかったのですが。
えっと、このシリーズは日記とブログの比較を3つの相違点に絞って行っています。
以上で、「1.日記は書いた本人以外の読者を想定していない。」を終えますが、理解いただけたでしょうか?
・・・・・・っで、
次の「2.日記には本音あるいは事実のみを書くものと理解されている。」と
「3.ブログは匿名性を持たせることができる。」について考えてみます。
これらは、深い関係がありますので、一緒に書きます。
これも例を上げますが、例えることによって余計に分からなくなる可能性もありますので、その点はご容赦を。
・・・・・・
ある既婚者が人妻とデートしたとします。
これを日記に書くでしょうか。
もちろん二人は友人関係以上のものではありません。
ある人は、潔白なのだから書くだろうし、ある人は誤解されるとまずいと思い書かないかもしれない。
ではブログに書くでしょうか。
ぼくは(書く書かないは)同じだと思います。
次に、実は恋愛感情を持っていたとします。
これは微妙だ。
だけれども、それを日記に(神経は使うものの)書く人もいるだろうし、書かない人もいると思います。
では、ブログに書くでしょうか。
たぶん書かないでしょう。
更に進んで、不倫の関係になったとします。
日記に書くでしょうか?
やはり、日記に正直に書く人と書かない人がいるはずです。
だが、ブログには絶対に書かないでしょう。
ただし、それが匿名だったらという条件が加わった途端、案外書くのじゃないかと思います。
実際、旦那がありながら、浮気を続けていた人妻のブログを知っています。
ブログが日記か否かの決定的な違いはこの匿名性なのです。
いったん匿名になったら、真実を書いたことによって生じるリスクは格段に減るのです。
読む側も自分が匿名であれば、より攻撃的になれるのです。
そうなのです、「匿名性」がブログを論ずるときのキーポイントなのです。
実名だったら、真実を書か(け)ない。
匿名で書かれたものに対して、信用できるか。
真実を書いたかどうかあやふやな文章、それを日記と呼べるのか。
書き手に責任を問えないような文章を日記と言い切っていいのか。
日記≠ブログではないか。
・・・・・・っということになるのです。
だけれども、ぼくはそれでもブログは日記だと言い切りたい。
なぜなら、真実を書こうが書くまいが、そのとき書き手が書いた以上、そのときの書き手が考えた内容の記録なのです。
ぼくの日記に対する定義は、【その日の出来事を書くことと同時に、感じたこと、考えたことを記録する】というものです。
日記は、本人があとから読み返すことを意識しながら書くものともいえますよね。
ブログはまさしくそう意識しながら書いているじゃないですか。
匿名だろうと、粉飾して書こうと、はたまたウソを書こうと、そのときそう感じたのは本人なのですよね。
立派な個人の記録じゃないですか。
・・・・・・
もう一つ、日記とブログの違いは「双方向」という指摘があると思います。
日記ではあり得ませんよね。
要するに読者からの反応ですね。
でも、それは日記を発信することによって生じた「オマケ」見たいなものと考えています。
いわば、日記が進化したことによって生ずる付随的なもので、日記の本質を大きく変えるものとは思っていません。
そして、日記である以上、他人が非難したり、脅迫したり、貶めたりすることは筋違いだということを、再度言いたかっただけです。
以上がぼくの意見ですが、ブログを考える上で何かヒントになってくれれば嬉しいです。それ以上の意図は全くありません。
最後に訂正:(その2.)で「フランクリンの日記」というのは「フランクリン自伝」の間違いで、日記の例としては不適切でした。有名な日記であれば、何でもかまいません。