・・・・・・・っということで、【忘れる】と【許す】について。
日米の開戦の日である12月8日が近付いている。
1941年だから今年で70年が経つ。
沢山の人が死んだ。
その人たちのことを決して忘れてはならない。
忘れないために、どうして死ななければならなかったのかも、常に問い続けなければならない。
だって、いちばん悲しいことは「忘れ去られる」ことだから。
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だが、「許す」ということは、いつかはしなければならない。
だって、70年だもの。
時間の問題じゃないと反発する人もいるだろう。
だが、恨みを持ってしまったら、その時点で時間が止まってしまう。
恨みを忘れないまでも、いつかは相手を許すときが来なければならない。
そうしなければ前に進めないではないか。
相手も自分も。
そう、誰だって過ちは犯すものだ。
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ところが、70年どころか520年前の「秀吉の侵略」をまだ恨んでいる人たちがいる。
いつまでも許すことが出来ない人たちは、逆に哀れな人たちだ。
彼らの心は狭いのだ。
今そんな昔のことを持ち出して、ぼくらにどうしろというのだ。
それを時間の中に逃げ込んでウヤムヤにするのは卑怯だと非難するほうがオカシイ。
ぼくは、忘れろとは言っていない。
許せと言っているのだ。
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沖縄の人たちが怒っている。
彼らの怒りは当然だ。
日本を非難する人たちと違って、彼らの生活は今現在も戦争を引きずっているからだ。
そこが沖縄の人たちに、簡単に時間が経ったから、もうそろそろ許してもいいんじゃないかと言えない点である。
だが、ぼくは心配している。
恨みや怒りを長く心に住まわせていると、心を歪めてしまうのではないかと。
許すには時期尚早にしても、建設的な態度まで放棄しているように見られることを。
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