・・・・・・・っということで、日比谷線の三ノ輪駅を降りて日光街道を北に進む。
珍しい入り口発見。
入っておいでよと誘われているような雰囲気。
都電荒川線の終着駅の【三ノ輪橋駅】。
バラがきれいに咲いていた。
都電と平行して【ジョイフル通り】がある。
結構長いアーケードで、古い店が軒を連ねている。
しかし、ここもご多聞に漏れず、半数以上の店がシャッターを下ろしている。
日光街道と明治通りの交差点はす向かいにある【浄閑寺】。
別名【投げ込み寺】
何を投げ込むかというと、それはとても悲しい物語。
この地の隣は【新吉原】という有名な遊郭があった場所と初めて知る。
1855年に大地震があり、遊女が大勢亡くなったという。
その亡き骸をお墓に投げ込むようにして葬られたということから投げ込み寺。
説明文によると、【生まれては苦界、死しては浄閑寺】と川柳に詠まれたとのこと。
さすが下町、今はトンと見かけなくなった質屋があった。
日光街道をさらに北上すると、いい匂いが。
屋外でダイナミックにうなぎを焼いている店があった。
いかにも庶民的な【丸善(まるよし)】。
一本180円のうなぎの肝焼きを買う。
わざわざ暖め直して、たれを付けてくれる。
歩道を歩きながら食す。
チョット先の左側に【円通寺】がある。
ココには彰義隊の墓がある。
説明看板には、「慶応4年(1868年)5月、寛永寺に集結した彰義隊は新政府との激戦の末、上野の山から敗走した。累々と横たわる隊士の遺体をみた円通寺の仏磨和尚は、官許を得て、寛永寺御用商人三河屋幸三郎とともに遺骸を火葬して円通寺に合葬した。これが縁となって、明治40年、寛永寺の黒門が円通寺に移された。」
と書かれている。
墓碑には「○○君」なんて彫ってあるのがあって、若い人だったのだろうなと思った。
商店街の中にランチにいい店がないかと探したが空振り。
日比谷線の駅に入ろうとしたとき、ちょっと先にナントカ水産という看板が。
これで、たったの1,050円。これに味噌汁が付く。
コストパフォーマンス抜群によし。
つい、ビール中瓶を飲んでしまった。
この他に丼ものも700円からあるので、ランチにはおススメです。
・・・・・・・っといっても、行くチャンスないですよね。