・・・・・・・っということで、ゴマすりは嫌いだ。
ゴマをするヤツも、自分でゴマをするのもキライだ。
若いころ、上司に向かってそう言ったところ、
「オマエは馬鹿だ」と言われた。
ゴマをするには頭を使わなきゃならんので、馬鹿には出来ないという意味だ。
尤も、その上司は相当なゴマすりの使い手だった。
ゴマをすっている姿を見てぼくが露骨にイヤな顔をするので、
さぞかしやりにくかったことだろう。
ゴマをするとは単に相手に調子を合わせて、諂(へつら)っていればいいのではない。
そんなゴマすりはすぐに見破られて、逆効果になるのは分かりきっている。
上手いゴマすりは、相手に気付かれずにすることだ。
ときには相手に反対意見を言っているようにさえ聞こえるのだ。
だが、そこは真正面からの反対ではなく、
あたかも相手のことを思って反対している風を装うのである。
反対の代わりに嗜(たしな)める風を装うこともある。
反対されたり窘められたりしたら普通は怒りはじめる筈だ。
ところが、それは非難を覚悟の上であえて行っているので、
決して反抗しているのではないと相手に気付かせなければならない。
コレは難しい。
相手がどの程度で怒り出すか、綿密な人物観察をした上でしか出来ないからだ。
失敗すれば、「この生意気なっ!!」・・・で即アウトだから。
要するに、ゴマすりが上手いということは、心理分析が上手いということである。
まあ、ここまでくれば、上出来である。
・・・・・・
だが、もっと上がいる。
ゴマすりを露骨に表すのだ。
相手もゴマをすっていると認識しているのである。
でも、「愛(う)いヤツ」なのである。
ここまでくれば、名人の域である。
豊臣秀吉のケースは、その域まで達したと思う。
織田信長がゴマすりを見抜けなかったはずがない。
草履を懐に温めて出した行為に感動したのではなく、
そういう方法でゴマをすった秀吉という男の発想を評価したのである。
・・・・・・
だが、ぼくはそれがイヤなのである。
そこまで能力があるなら、堂々と勝負しろよといいたいのである。
それは「ゴマすり=卑屈」というイメージが強いからである。
そこまでして上司に取り入られたいのか?
そこまでしてライバルの鼻を明かしたいのか?
・・・っという気持ちである。
・・・・・・
イヤ、違う。
そうじゃない。
客観的に見て、これはぼくが「負け犬の遠吠え」をしているだけである。
要するに勝った者が勝ちなのである。
競争相手は、ゴマすりを厭わず戦法に取り入れた。
こちらは、「変な美意識」のためにその戦法を卑怯だとして採用しなかった。
ただそれだけだ。
だが、結果は明白だ。
負けは負けなのだ。
そう、それは「実力の差」なのだ。
上司がぼくに投げつけた言葉そのものなのだ。
「オマエは馬鹿だ」
・・・・・・
だが、・・・・・・