・・・・・・・っということで、何事も一定レベル以上上手くなろうとしたら、
壁がある。
その壁を乗り越えると、ウソのように上手くなる。
そしてまた壁だ。
壁を軽々越える人は、才能があるといえる。
普通は、壁を乗り越えるために悩む。
一生懸命努力する人もいれば、回り道を考える人もいる。
まあ、とにかく乗り越える。
だけれども、永遠に越えられない壁はいつかはやって来る。
それでも諦めずに、チャレンジし続ける人もいるだろう。
だが、もう心も体もボロボロだ。
それはそれで崇高な生き方だと言える。
・・・・・・
それとは反対に、すぐに諦める人がいる。
努力というものが嫌いか、そもそも出来ないタイプの人間だ。
だが、そんな人に対して無理強いは出来ないだろう。
それはその人の生き方なのだから。
越える能力があるのにと周囲の人は残念がるが、
越える越えないは本人の意思にかかっているのだから。
・・・・・・
ところがここにもう一人厄介な人間がいる。
能力があって努力も出来るのに、壁の前で引き返してしまう人間だ。
こういうタイプの人間は一芸に秀でることはない。
どれもコレも中途半端だ。
ある程度(それも相当程度)行くのだが、それ以上前に進もうとしない。
いろいろと手を出すが、齧りかけばかりで何一つモノになっていない。
才能がないと言ってしまえばその通り。
しかしその人にも言い分がある。
自由でいたいのだ、
いつまでも素材でいたいのだ、
・・・・・・・っと。
ちょっと、これには説明が必要だ。
例えば仕事。
ある仕事でその人が実績を上げたとしよう。
会社はその人物の能力を認め、どんどん昇任させそのセクションの責任者に据える。
業界でもその分野のオーソリティーとして認められ、会社に貢献しめでたく定年を迎える。
それはとても恵まれたサラリーマン人生といえよう。
だが、その人は途中で後輩に仕事を委譲し、もうその仕事に対して興味を失ったように見える。
そして、新しい分野の仕事を渇望する。
不思議なもので、新しい仕事は巡ってくるものなのである。
また息を吹き返したみたいに俄然新しい仕事に没頭する。
もちろん成功ばかりではない。
失敗もある。
一つの仕事を続けていたほうが、本人にとって幸せだったはずだ。
なぜなのか?
そう、その人にとって自由でいたいからだ。
先の人生が描けるようになった途端、その仕事に対する興味を失ってしまうのだ。
なんだ、飽きやすいだけじゃないかと言われるかもしれない。
うぅ~~ん、ちょっと飽きるとは違うんですよね。
以上、理解していただけたでしょうか?