・・・・・・・っということで、善意には冷たさが必要であると言ったら、おかしいだろうか?
誰にも善意の気持ちがある。
それは本人が思っている以上に大きいものだ。
この世の中、困っている人を助けたい人で溢れかえっているのに、
助けを求める人が少なすぎるとぼくは感じている位だ。
だって気持ちがいいもん。
そう、気持ちがいい。
困っている人が喜んでくれるだけで気持ちがいい。
さらに「ありがとう」と言ってくれればもっと気持ちがいい。
自分の善意が通じたからだ。
匿名で行う場合もあるだろう。
直接感謝されなくたって、喜んでいる姿を見るだけでウレシイ。
正直なところ、匿名だってホントーはオレなんだよと叫びたい気持ちはあると思う。
でもそれを言っちゃぁ善意にケチが付くから、言わないだけだ。
・・・・・・
だが、善意が実は役立たないと知ったらどうだろう?
感謝の言葉が聞けなかったらどうだろう?
逆に、迷惑だと言われたらどうだろう?
フツー、逆切れしたくなりますよね。
善意を行ったことによって、自分が大きく傷付くことがあるんです。
だから善意を行うときは、「期待」しちゃイケないのです。
【善意には冷たさが必要である】というのはこういうことなんです。
ホットな気持ちだけじゃイケないんです。
・・・・・・
さて、今度は善意を受ける側だ。
もちろん善意の裏にある「期待」を十分承知している。
善意に応えなきゃイケないというプレッシャーは予想以上に大きいのだ。
あなたの善意は的外れなんだよ。
ホントーはこうして欲しいんだよ。
却って迷惑なんだよ。
・・・なんてことは(善意を施されている側から)なかなか言えない。
だから、(ありがたがっていると)演技しなければならない。
そんな演技をする位なら、最初から善意なんかいらない。
放っておいてもらったほうが、ずっとマシだ。
だから、辛くても助けを頼まない。
・・・となる。
まとめれば、【善意には聞く耳が必要である】となるのかな。
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この間ボランティアをする社員のことを書いた。
ボランティアになる動機は善意のカタマリだ。
とにかく善意だけで東北に入ったボランティアが陥る失敗のことを言っていた。
被災者たちの話を聞く。
何が必要なのか。
どんな助けが必要なのか。
彼らの話は真剣なのだ。
聞く側も真剣に聞かなければならないこと。
聞いてしまったら、それを履行する覚悟が必要なのだ。
ところが、いい加減に聞いてしまうボランティアが多いと嘆いていた。
援助を必要な人は命がけなのだ。
だから、援助する側も命がけで聞かなければならない。
そう、【善意には命がけの覚悟が必要である】なのだ。
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【善意には冷たさと、聞く耳と、命がけの覚悟が必要である】
以上が、善意についての雑感です。