・・・・・・・っということで、神様がいるかいないかぼくには分からないけれど、
役に立つか立たないかで考えると、いたほうがずっと便利だということが分かる。
どうしても人間の人知が及ばないところがある。
その及ばない範囲を神様の守備範囲とするのである。
例えば、生と死。
例えば自然災害。
例えば運不運。
例えば未来のこと。
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こういうことを人間がいくら考えても(無駄とはいわないが)、結論がつかない。
それならば神様に任せて、別の有意義なことに時間を有効活用しよう。
どうです?
神様は役に立つでしょ?
いわば、神様有用論ですね。
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ところが、人間というものはちゃっかりしたもので、神様を利用して儲けようとするんですね。
これは騙される方も悪いので、まあ、神様有用論のフリルみたいなものと考え、仕方ないとしよう。
だけれども、残念なことに政治に利用しようとする輩が後を絶たないのは問題だ。
古代においては、自分の権威を正当化するために自分は神の子だと騙った王は多かった。
古代といってしまったが、いまでも自分を神格化する独裁者は根絶されていない。
自分は神のお墨付きなのだから、当然その息子もお墨付きがあって当然ってね。
これは困ったことだ。
神様を持ち出してしまったら、誰も逆らえないからだ。
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そこで考え出されたのが、民主主義だ。
見方によっては、民主主義も宗教の一種といえないこともない。
だって、多数決の論理は、まるで大衆が公平な判断を下すよう、神様が配慮なさるというニュアンスが強いからだ。
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ところが、困ったことが起きた。
民主主義はやはり宗教に対抗するには弱いのだ。
宗教に理屈はない。
民主主義には理屈がある。
理屈のないものに理屈は通用しないのだ。
それを上手く利用したのが、テロリストだ。
テロリストに対して力で押さえつけることは出来ない。
多少成功したとしても、力で押さえつけるために支払う代償はあまりにも大きい。
そんな社会は理想からはるかに離れている。
テロリストに対する有効な手段は唯一、彼らを孤立化させることだ。
そのために、宗教家の果たす役割は大きい。
神様を利用して生計を立てているのだから、宗教家はもっと発言すべきじゃないだろうか。