・・・・・・・っということで、ぼくは変な人間で、
長女が生まれ初対面したとき、
まだ羊水の乾燥した白い痕を残す小さな顔をしげしげと見つめながら、
【この子に「生」を与えたと同時に「死」も与えてしまったなぁ】
・・・と思ったのである。
ホント変な親。
でも、これは事実なのだから仕方ない。
・・・・・・
二人の子供も成人して大人になり、職業にも就いた。
そして、思うのである。
【この子たちは生まれてきて幸せだったのだろうか?】
・・・と。
ぼくはこの考えの中に「神」は介在させない。
絶対に介在させない。
だって、ぼくは自由意志でこの子供たちを作ったのであって、
生命を与える意思決定をしたのはぼくと妻だったのだから。
決して神じゃない。
だから、ぼくには責任がある。
結果としての死を受け入れざるを得ない、わが子をこの世に送り出したのは、
紛れもないぼくの責任だ。
出来ちゃった婚じゃないのだ。
そう、成人したらもう親の責任じゃない。
子供たちは親から離れ、彼らの責任で自らの人生を切り開く。
それだけの面倒は十分すぎるくらいしたつもりだ。
(本人たちは物足りなかったかもしれないが。)
今になって責任云々はオカシイと思われるだろう。
でも、子供を作る以前に、
この世の中は生きるに値するだけの価値があるのかを、知らなかったわけじゃない。
どちらかといえば、自分の思い通りにならない、
苦労だらけの人生であることを知っていたのだ。
そして、誰も避けられない「死」という宿命。
それを知りながら、子供に生命を与えたのじゃないか。
・・・・・・
【この子たちは生まれてきて幸せだったのだろうか?】
子供たちは、親に生まれてきたことへの責任を問い詰めることなく、
【ああ、生まれてきてよかった】
と思えるだけの力を蓄えたのだろうか?
子供たちを見ながら、いつも問いかける問題である。
そしてこの問いは、ぼくの親を含め、
全ての親が自らに問いかけている問題ではないだろうか?