・・・・・・・っということで、また軟弱なブログを書く。
「愛」についての断想である。
男女間の愛も愛であり、
親子間の愛も愛である。
同じ愛だけれども、実は全く異質のものではないだろうか?
・・・っというのが、今回のお題。
男女間の愛は、相手から同等、またはそれ以上の愛の見返りを期待している。
どう言い繕っても、「私がこんなに愛しているのに・・・」
というセリフが伴う。
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一方、親子間の愛は見返りを期待していない。
多少あっても、相手を自分の愛で包むというイメージだけで満足する。
たとえ愛する対象が与えた愛に無反応でも、
それどころか逆に反発してきてさえも、愛するという行為に揺らぎはない。
今回の震災に対する義援金も、見返りを期待していないという点では、
同質の愛だろう。
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だが、愛を与える本人もそれほど強い人間ではない。
やはり自分よりも大きな愛で包まれたいと願っている。
親子間なら、本人の親から愛されるのが普通だ。
しかし、親はいつまでも生きていない。
親から愛されたという記憶だけを頼りに、
自分の子供を愛さなければならなくなる時期がいずれは来る。
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義援金やボランティアの愛はどうだろう?
自分より大きなものの愛が自分を見守ってくれているという感情はないだろうか。
それは多分に宗教的な意識が働いていると思う。
自分の行った善行を神様はどこかで見届けてくれているという感情だ。
キリスト教信者なら、この辺に迷いはない。
無償の愛=アガペを惜しみなく与える神の存在に疑いを持っていないからだ。
だが、そういった具体的な神を持たない者たちの愛は、
どうやって報われるのだろう?
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愛を与え続ける行為自体が苦しく、
報われる見込みもないとき、
神にすがることもなく、
今の自分をより大きな愛で包んでくれる対象がないことに絶望するとき、
いったい誰にすがればよいのだろう?
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