・・・・・・・っということで、これから一神教は間違っていることを証明してみよう。
キリスト教徒を始めとするユダヤ教徒、回教徒その他の一神教の信者たちはどうか怒らないで欲しい。
単なる頭の体操とご理解いただきたい。
・・・・・・
人間は神が創ったことになっている。
(自分に似せた姿でというのは、まあご愛嬌として。)
するとそれは、人間を創造する前は神は独りであったことの証明になる。
ついでに、天地も神が創造したことになっているから、
ものすごい時間、神はちょっかいを出す人間なしに、独りっきりで生活していたことになる。
なぜなら、宇宙の時間に比べれば、
人間の生存している時間なんてゼロに等しいことを我々人間は「知っている」。
(昔の人間は知らなかったが。)
神というのは、何と退屈な存在なんだろうと気の毒にさえ思える。
神が存在するとして、神は複数いるというほうがずっと自然な考えだ。
人間界が生まれる前は、神々の世界があったとするべきだ。
そうでなければあまりにも神は孤独で、気の毒な存在だ。
以上が、一神教は間違っているとの証明だが、
どうです?完璧でしょう?
エッ?
穴だらけだって?
そうかなぁ?
多神教を信じる人たちは、宇宙の成り立ちなんて知らなかったけれど、
ぼくが言っているような矛盾点を何となく感じていたのではないだろうか。
そこで、キリスト教はイエスという人物を発明した。
一神教の神はあまりにも、人間から遠い存在だからだ。
そこで、神と人間を取り持つ役目をする「神の子」を考え出した。
マリアの腹を借りて、神の子を授けたのだ。(まあ、ヨセフの面目丸つぶれだが。)
イエスなら、人間により近く拝みやすい。
ここで、オカシな点に気付かないだろうか?
神が自分の子を授けたということは、神は生殖機能を持っているということになる。
一神教の神が、なんで生殖機能を持っているのだろう?
そう、もし神が存在するならば、多神教でなければ説明が付かない。
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以上、上手く説明できたと思うが、
神を信じるものは、「とにかく神は存在するのだ」と言ったまま、
矛盾点についての議論に対しては耳を塞いでしまうから始末に負えない。
ここで言いたかったのは、多神教の方が受け入れやすいということであり、
一神教は、多神教に対する(単なる?)アンチテーゼに過ぎないということである。