・・・・・・・っということで、ある人のブログを読んで、
今回の震災と宗教について考えさせられた。
どの宗教も困っている人を救済することを看板に掲げている。
今回のように、目の前に困った人々が大勢いる状況で、
その人たちを助けられないならば、即刻その看板は下ろすべきであろう。
宗教が出来ることは、精神的な救済が第一に思い浮かぶが、
人的、物的、そして金銭的な救済の総てが可能であるはずだ。
特に、最後の項目は見落とされがちだ。
彼ら宗教団体は、このような非常事態と関係なく、
無垢の民からお布施とか、寄付金という形で金銭を受け取っているではないか。
しかも無税で。
ならば、同様に彼らも義援金という形で、
積極的に被災者たちを「救済」すべきではないだろうか。
ぼくから見れば、布教活動の絶好のチャンスと思うのだが。
ところがどうだ。
「祈り」ばかりしているのじゃないか?
・・・・・・
その点、キリスト教は流石である。
行動が早い。
組織立っている。
布教活動に年季が入っている。
日ごろ「神の愛」を説く者として、言行一致している。
・・・・・・
ならば、日本人はすべてキリスト教に改宗すべきではないか。
そうすれば、略奪も起こらず、我先に救援物資に殺到することもなく、
隣人愛の元に整然と困難に立ち向うことが出来るではないか。
・・・・・・
ところが現実はどうだ。
彼らが蔑む異教徒である多神教の国民の行動を見たまえ。
わざわざ神に説教されなくとも、よほど隣人愛に溢れているではないか。
・・・・・・
これ以上は書かない。
優れた尊敬すべき宗教家が沢山いることを知っているから。
だけれども、今回日本で起きている事象をよく見た上で、
自分たちの教義に、あるいはこれまでの宗教活動の中に、
「欺瞞」とか、「放漫」とか、「傲慢」とかの匂いがプンプンしていないか、
もういちど自ら振り返って欲しい。
そして、すぐに行動してもらいたい。
ぼくらにはそれを要求する権利がある。
なぜなら宗教法人として、優遇税制を適用されているではないか。
今回の大震災も含め、彼らがどう行動したか、よく検証してみようではないか。