・・・・・・・っということで、なるべく大災害の話題は避けて、
面白い話やバカ話を書こうとするのだけれど、
やはり、そこに戻ってしまう。
昨日は上手く書けなかった。
援助の本質的なものは何かを書きたかったのだが、考えがまとまらなかった。
・・・・・・
過去の大災害でもそうだが、世界中から援助の手が差し伸べられる。
人的なものであったり、物質的なものであったり、金銭的なものであったり、
また、精神的なものであったり。
だけれども、それらは時間の経過とともに、
世界⇒国⇒県⇒自治体・・・と縮小していき、
結局のところ「家族」「個人」のレベルで解決しなければならないことになる。
災害に遭った人たちはまことに不運である。
全く個人に責任がないにも関わらずである。
全てを失った人々は、将来の自分の生活を全く描けないであろう。
人間にとって、これほど絶望的な状況はないであろう。
だけれども、最終的には自分の力で将来を切り開かなければならなくなるのである。
援助無しに・・・。
その時点までどのくらいの時間がかかるか、分からない。
5年か、10年か、それ以上か。
だが、それまで援助が続いているべきであろう。
それが本当の援助というものではないだろうか。
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だが、人々の記憶はだんだん薄れていくものである。
これは仕方のないことである。
残念ながら、切り捨てられ、忘れ去られていく数々の人たちがいるだろうこともまた事実である。
ぼくらは、善意に溢れている。
大物スターから、無名の一個人まで、多額の募金がいまも集まり続けている。
しかし、5年後、10年後にいまと同じ痛みを心に持ち続けられている人は何人いるであろうか。
逆に、思い出すことさえ疎ましいと思わないと言い切れるだろうか。
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皆に忘れ去られたときにさえ、彼らに必要なのは、
人的なものであったり、物質的なものであったり、金銭的なものであったり、
また、精神的なものであったり・・・
そういうものじゃないかな。