・・・・・・・っということで、ぼくらは、
こういった歴史的大事件の、
まさにリアルタイムの目撃者になっているんだけれど、
不思議に実感がわかないんですね。
この未曾有の災害が起きたのは、つい昨日だったんですね。
ところが翌日の今日は、頭の中では処理済のニュースとして扱っているんですよね。
もう過去の事件としてタグを付けて、倉庫の中に放り込んでオシマイにする。
そういった感覚なのです。
・・・・えっ?
ぼくのそういう感覚ってオカシイですか?
・・・・・
ぼくはオカシイと思います。
でも、この世の中、ショッキングなニュースだらけだ。
否応無しに、そういったニュースを心の中で処理しなければ、
次々と新しいニュースが飛び込んでくる。
いちいち深く吟味する時間なんてない。
このニュースに対してはぼくはこう思う、
というタグを簡単に付けてオシマイにする。
みなさんも自覚していないまま、
そういった処理を心の中でしているんじゃないですか?
いまぼくらが過ごしている情報化社会って、
まさしくそういう処理をする人間を育てているんじゃないですか?
・・・・・・
ところが、当事者たちは今現在、苦しんでいる。
過去のワン・オブ・ゼムのニュースなんかじゃない。
肉親や、友人、知人の安否が確かめられない。
財産の全てを失って、絶望の真っ只中にいる。
生存率を左右する72時間が、どんどん迫ってきている。
・・・・・・
このギャップはなんだろう?
傍観者と当事者との心のギャップ。
ニュースは、人の災難や悲劇をあたかも「商品」のように扱ってきた。
これはとてもオカシイことじゃないですか?