【現代は中世である】 | so what(だから何なんだ)

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・・・・・・・っということで、ちょっと変わった仮説を設定してみましょう。


【現代は中世である】との仮説です。


ご存知のとおり、中世はローマ教皇を頂点とするキリスト教支配の社会システム(封建制度)でした。


土地は教会のものであるとされ、人々は小作人として土地に縛られていました。


実に不自由な時代でしたよね。


その中世と現代が同じだと言っているのですから、突拍子もない仮説ですよね。


言うまでもなく、現代は行動の自由も、言論の自由も、基本的人権も保障されているわけですから、中世とは対極にある環境と考えるのが普通でしょう。


でもぼくが言いたいのは、そういう物理的な自由ではなくて、「精神の自由」を言っているのです。


自由というものは、実は不自由なものなんです。


どういう意味かというと、自由な人間というものはパワーを持っていなきゃならんのです。


自分で決定する自由を持っているからなのです。


よく考えてみると、自分で決定するより他人に決定してもらう方が楽ですよね。


そういう風に世の中を見ていくと、本当の意味で自由な人が居るでしょうか?


その証拠に、殆どの人がサラリーマンをやっている。


本当の自由人なら、自分で会社を立ち上げて社長をやっていなきゃならない。


ところが、制約だらけの不自由なサラリーマンという道を選んでいる。


口じゃ不平を言いながらでも、それは楽な道だからです。


自由ではなく、束縛を選んでいる。


この状態を、中世と同じ精神だと言って、どこが間違っているのでしょうか?


・・・・・・


中世と現代を比べると、現代の方がもっと厄介なんでですね。


なぜなら、束縛されているのに、束縛されていないと信じ込まされているからです。


みんな自由にやっていいよと言われているのに、自由を扱いかねているのです。


先ほど言ったように、自由な人間というものになるには、パワーが必要なんです。


現代の人はパワーが足りないんです。


中世の人々と同じなんです。


そのくせ、インターネットなんかが登場してくるから、余計に訳が分からなくなる。


自分という個人を、国境を越えて発信できるツールを手に入れたのです。


ある意味、究極の自由ですよね。


・・・・・・


さて、この精神の中世時代から抜け出すにはどうすればいいのでしょうか。


パワーを身に付けるしかないのです。


時代は人間にそれを求めているのです。


実を言うと、日本は時代を先取りしているのです。


失われた20年では足りなくて、失われた30年に突入している。


それだけの時間をかけても、日本は抜け出すことが出来ないでいる。


こういった壁にぶち当たる日が、近いうちに世界中にやって来る。


いまは元気な中国だって、直に停滞してしまうでしょう。


・・・・・・


約1,000年(5~15世紀)続いた中世という時代の最後に来たのがルネッサンスだった。


あのときの発端は、「今までのやり方は何か間違っていないかい?」という疑問からだった。


まるでカンブリア爆発のように、芸術や、文化、科学、哲学が発展した。


パワーを持った人々が、数多く輩出された。


ルネッサンスというと芸術が注目されるけれど、あのときの人々のパワーを示す一つの指標と考えてイイでしょう。


・・・・・・


さて、現代にもう一度ルネッサンスが起きるでしょうか。


ぼくは楽観主義者なので、起きると確信しています。


本当の自由人が日本人の中から生まれて欲しいと思っています。


その着目点は、芸術だと思います。


なにか優れた芸術を日本人が創り出すような、そんな予感がします。